すいあげられる のみの さーかす
さーかすせかいのほうかいするのは おかねが いちほうこうてきにながれることでもわかります
おかねは こじんのおかねから おおきなしすてむのおかねにつねにすいあげられています
*
まいにち すいあげられている のをかんじますか?
わたしたちはすいあげられています
ときのしゅしょうが 「ぜいきんをすいあげる」というひょうげんを こっかいでつかったときには あまりにそのまま ろこつで びっくりしました。
ふくざつなきもちになりました
たぶん にほんのぜいきんは こうふたんこうふくし といわれるほくおうと もはや かわらないすいじゅんです
こうふたん ていふくし のせんとうをはしっているくにです
しかし それでもぜいきんがたりない と らいねんは ねあげするらしいです
これが れすとらんであれば ねだんがたかく さーびすもあじもわるい みせということになります
しかし てんちょうは そとでぽるしぇをのりまわしたり ともだちにおごったりしている
ざいりょうのしいれはたかく しいれたんとうしゃは わいろをどんどんもらっている
それで「おかねがたりないので ねあげします」といったら、おきゃくはこなくなりますね
しかし くにのばあいは れすとらんのように もういかない というわけにはいきません
いくのではなく うまれたときから そこにすんでいるのですからね
うまれたくにをすてて ほかのくににいくのはたいへんです
おかねもちや きぎょうは くにのわくをこえて おかねをうんようしたり かくしたりしますが しょみんはそうもいきません
というわけで ぜいきんはいわれるがままにすいあげられるのです
すいあげは それだけではありません
ねんきん
これもすいあげられます
おかねがたりなくなると しきゅうがくをへらし しきゅうねんれいをあげてちょうせつします
せんにんのわかいときは ねんきんはしょうらいのためにはらうもので じぶんのおかねを くにがあんぜんにうんようしてくれて そこにつみたてているいめーじでした
しかし はなしはいつのまにか はいってきたもので だすほうをまかなう ということになってきました
だから こうれいしゃがふえると はらえない というりくつです
では こうれいしゃがおおくなかったじだいの よじょうのおかねはどこにきえたでしょうか
そして ねんきんしきんは かってにかぶしきしじょうに ぶっこまれて なんじゅっちょうえんも そんしつをだしているようです
そのそんしつのぶんも おかねがありません ということになって しきゅうがくや しきゅうねんれいにはんえいすれば いいのです
こうがくれきのひとがたくさんあつまって ふくざつなせいどや かいけいしょるいや ほうりつをつくりますが しょうばいは かんたんです
おかねがたりなくなったら さーびすをさげて すいあげるきんがくをあげる
これでかいけつ
だれももんくをいいません
*
けんこうほけんも すいあげます
にほんのいやくひんしょうひは あめりかについでたかいようです
おいしゃも ばんばんくすりをだします
けんこうほけんがきくくすりは やすいので たくさんもらってよろこぶひとがいます
それでほけんりょうがあがります
らいねんも あがるようです
*
けいたい・すまほもすいあげます
まいつき なんぜんえんもかかりますね
すまほなしでは いきられない
おかねによゆうがないひとでも すまほにおかねはおしみません
そして げーむのかきん
これまた はまるひとにとっては すいあげ なんばーわんです
せんにんは げーむはしますが ぜったいに かきんにはふみこません
*
けんこうほけんいがいの いりょうほけんもすいあげます
もしものときにひつよう とみんなおもいますね
でも ほけんのかんげんりつは せいぜい40ぱーせんとくらいと すいていされています。
100えんのうちの60えんは こうこくひや じんけんひ りっぱなびるでぃんぐなどのしせつ にきえて 40えんぶんだけをぶんぱいするのです
けいば けいりんでさえ 75ぱーせんとは かんげんします
るーれっとで あかにかけるか くろにかけるか かんがえますね
ほけんは じぶんにわるいことがおきるほうに まいつき ちっぷをかけることです
それでどうもとが 60ぱーせんととります
そういうかけです
おおくのひとは ほけんをかけだとはおもっていません
もっとあんぜんで よいものとおもっています
しょうしみんのたしなみ です
でも おかねがあるひとは ちょきんしたほうがいいですね
そうかんじさせないのが ほけんのこうこくの まじっくです
*
ほけんだけでなく いりょう おいしゃさん そのものが もはや すいあげしすてむになっているのです
これは ややこしいてーまなので ふかいりしません
*
しゅうきょうも はげしく すいあげます
いのちのねうちという おかねでは はかれないものをおしえてくれるので しんじゃにとって おかねはたいしたものではありません。
つかえばつかうほど ありがたいきもちになります
いのちのねうちが じぶんじしんでわかっているひとは しゅうきょうにおかねをつかわなくてすみます
でも そうでないひとがたくさんいます
おおきなしゅうきょうは おかねもちです
おかねがざぶざぶとあつまってくるのです
ぜんなんぜんにょの じょうざい です
*
こどものがくひも すいあげられます
しょう、ちゅうがっこうは むしょうですが じゅくや ならいごとがあります
いま しょうがくきんが さらきんなみ とひはんされています
こうこう だいがくで すうひゃくまんえん あるいはいっせんまんえんをこえる おかねがかかるでしょう
せんにんは ちゅうそつで すごくせいこうしたひとを なんにんかしっています
せいこうとは ふつうのせけんてきないみで おかねをたくさんかせぐようなことです
ただ どくじのやりかたをします
まえにかいた じこけっていのぷろせす
1 かのうせいをみつけだす
2 かのうせいの りすとをととのえる
3 かのうせい から じこけっていし じっこうする
4 じっこうした けっかをじぶんでひょうかし ひきうける
5 4をぜんていに またかのうせいをみつけだす
これをくりかえすことで、どくとくのみちをあゆみはじめるひとがいるのです
もちろん そういう つよいいきかたができるひとばかりでは ありません
でも ちゅうそつではたらいて すむところや ごはんはしばらくおやのいえですませる
そうすれば おかねがたまります
おやも がくひがうきますから ためたおかねと おやのえんじょで だいがくをそつぎょうするころには ちいさなしょうばいをはじめることができます
これからのよのなか だいがくでたって らくではありません
ほんにんがのぞめば そういうじんせいもいいのではないでしょうか
せんにんにも むすめがいますが 10ねんいじょうまえに そういうせんたくしをほのめかしたら おくさんから 「あなたは それでもひとのおやか あいじょうがないのか」と おこられました
ひとつのせんたくしをしめしただけですが
かんじょうのきんせんにふれたようです
これはたぶーなのです
なにはともあれ のみのさーかすへのさんかのちけっと
これが よのなかのひとにとってはいちばんだいじなようです
したがって みんな がくひは ほかをけずってもはらうのです
*
あたまがつかれましたね
まだまだわたしたちをすいあげているものは あります
すいあげしすてむは さらにふかいこうぞうをもっていますが じかいにしましょう
かめよせは いがいと かんたん
ながいげんこうを かくじかんがないので ひさしぶりにかめよせ
なんでよってくるのか
ふしぎです
ぼくのまねをしたひとも ふたり かめをよせています
かめがおおいところでしているので ぼくよりもかめがいっぱいよってきている どうががあります
ちょっとかわったひとたちなので ふたりにとくしゅのうりょくがあるのか
だれでもできるのか
きょうみぶかいところです
もうすこしようすがわかったら そして やってみたいひとがいたら やりかた こうかいします
せんにんも かめがたくさんいるところで じっけんしてみたい
それから さつえいしてくれるひとがべつにいると もっといいえがとれるでしょう
これは せいぶつがくてき せいめいてきに とてもおくゆきのあることがらなのですでも はんのうするひとがすくないので つまりません
あまりもちべーしょんがあがらない
「どこどこで おいしいらんち たべたよー」
という しゃしんいりのきじのほうがいいかな
とくぎかめよせ ◆ かめがさんびき みぎのほうにもあたまだけでています とくにどうということない えいぞう
ちりもつもれば やまとなる pic.twitter.com/KG2MJSQ0MF
— symbolist (@muramatsukouhei) 2017年7月25日
ほうかいする さーかすせかい
ぜんかい われわれのしゃかいを
とべないのみ のさーかす
という ひゆでかたりました
このさーかすせかいは まもなくほうかいします
ほうかいとはなにかというと ばくはつてきにしゅくしょうするのです
このほうかいこそが せんにんがじんるいきゅうさいをはじめた りゆうなのです
いろいろなぎもんがわきますね
1 なぜ ほうかいするのか?
2 ほうかいすると どうなるのか?
3 どうすればいいのか
1について かきましょう
かんたんにいうと ひとがいらなくなるのです
ろうどうりょくが たいりょうにあまってしまうのです
それは さんぎょうかくめいいらいの ごうりか と じどうかの れきしのながれです
あぃてぃは いんふぉめーしょん・てくのろじー
じょうほうかがく
これはかつて おふぃす・おーとめーしょん おーえー とよばれていたのです
つまり それがじどうか おーとめーしょんか のながれです
たとえば さんぎょうかくめいで こうじょうせいさんがはじまったことで たいりょうのしごとがはっせいしました
とてもやすい ろうどうりょくとして おおくのひとが かりだされました
さんぎょうかくめいのはっしょうのち いぎりすではこどもまで かりだされて ちょうじかんろうどうに じゅうじしました
こどもたちは じゅうろうどうでつかれはて おとなになることなく はやじにしたといいいます。
それでしごとはふえたようにみえますが それまでのかないせいしゅこうぎょうは すいたいしました
てづくりでものをつくっていた さんぎょうはすいたいし よりおおくのひとがしごとをうしなったはずです
でも これはぶんめいやけいざいが ばくはつてきにはったつしたじきでもあったので つくるものはたくさんあったのです
せかいには ぶんめいのおんけいがとどきにくい くにや ちいきがたくさんあり それは みらいの みかいたくのしじょうとして のこっていたのです
むかしは ぶんめいのおくれたくにを こうしんこくと ろこつによんでいました
わかりやすいので このなまえで よびましょう
せんしんこくの しじょうが ほうわしてしまえば こうしんこくにうりにいけば よかったのです
そのあいだに せんしんこくは さいせんたんのものをうみだし せんれんさせ しょうひしていきます
でも いま このようなげんりや だいなみずむは かつてのようには そんざいしません
あじあでも あふりかでも きょうさんけんでも あらゆるくにのひとが あいふぉんをもっています
あたらしいものは さほどいらないのです
もちろん あいてぃや さんしんぎじゅつのせかいは めざましいもの おどろくべきものを つぎつぎにうみだします
でも よりおおきなへんかは ものがみなやすくなり りえきをうまなくなっていることです
100えんしょっぷにいくと こんなものまで100えんっ? とめがまるくなることがあります
そのかげで ぶんぼうぐやさんや しょっきやさんなどがたくさん はいぎょうしていることでしょう
ぶっくおふができたことで ふるほんやさんも かなりへったでしょう
そして しゅっぱんしゃのうりあげもへりました
あまぞんのおかげでつぶれたしょてんも たくさんあるでしょう
せんにんのすむまちの ながくつづいていた ほんやもちかくへいてんする というあんないがでていました
あまぞんはほんやとしてかたってしまいますが、うっているのは ほんはすでにいちぶですね
あらゆるものをうって あらゆるしょうばいをあっぱくします
とにかく おおきなしほんが しゅうやくてきにじょうほうやものをしはいし よい やすい さーびすをつくりだすと ふるいちいさなしょうばいは あっぱくされてすいたいするのです
そのようにして しほんのしゅうちゅうが かそくしています
しゅうやくてきなしごとというのは ひとでがいらないのが めりっとです
そしておおきなしほんは さいしん さいぜんのしすてむをいれます
ひとでをせつやくするというめんでは もっとも かしこく あいてぃか され こうりつがよいものになります
したがって ひとつのぎょうしゅが ひとをやしなう にんずうは げきげんしていくのです
じんるいは そういう おおきなじだいのながれのなかにあります
そこにきて えーあいが ひとのちせいにおいつけ おいこせと いうじだいがきました
ひとにしかできない とおもわれていたしごとを つぎつぎにできるようになりました
だっさいというおさけは とうじのけいけんとかん といわれていたさけづくりを こんぴゅーたーでかんりしました
しかも それがひとがつくったよりおいしいと だいにんきになってしまったのです
(せんにんは せけんがありがたがるほど だっさいはすきではありません
せんにんにおさけをおくるときには ほかのおいしいさけにしてください
ごりやくがあるでしょう)
いご・しょうぎでも めいじんより こんぴゅーたーのほうが つよくなってしまいました
そうなると ひとのしごとは さらにげきげんしていきます
くるまもとおからず じどううんてんになるでしょう
ちょうきょりとらっくのうんてんしゅのしごとが なくなるだろうとは よくわだいになります
こーすがきまっているからです
たくしーは いつもこーすがちがいますから そのあとになるでしょうけれども じかんのもんだいです
せんにんもせんじつ うーばーというものをはじめてつかってみました
たくしー はいやーを すまほでよべるのです
いきさきも すまほでいれておきます
かーどをとうろくすれば しはらいのやりともありません
じどううんてんさえじつげんできれば そのまま すぐにむじんかできるのです
すぐにめにつくれいをあけましたが ほかにもいろいろなものが こんぴゅーたがあればひとはいらなくなるでしょう
よのなかの じどうかのながれが えーあいのばくはつてきしんか しんぎゅらりてぃによって げきりゅうかしていくのです
いごや しょうぎても こんぴゅーたーが とっぷぷろにかつのは 10ねんかもっとさきだとおもわれていました
このけんにかんして わたしたちのよそうよりも はやくじだいは すすむけいこうがあります
かりにそれが よそうより すこしばかりおそかったところで じんるいのれきしのなかでは いっしゅんということばもあたらないくらい みじかいさきのみらいなのです
ようちえんや しょうがっこうのていがくねんのときに いすとりげーむ をしましたね
たくさんならべた いすのまわりを おんがくにあわせてくるくるまわり おんがくがとまったしゅんかんに いすにすわります
いすは だんだんにへっていきます
すわれなかったひとは しっかく げーむおーばーになります
そのいすが きゅうそくに はんぶんくらいになってしまうじだいが すぐそこにきているのです
これが さーかすせかいのほうかいです
げーむおーばーになったひとがたくさんでたら どうしましょう
そのときに なにがおきるのか
それはじかいにしましょう
きょういくと のみのさーかす
だんだん しびあはなしもでてくるけれども じんるいきゅうさいのためには さけてとおれないのです
かのうせいにふたをされている ということは じゆうせいをうしなっていること
てあしをしばられたり ろうやにいれられたりしているのとおなじ
みえない ろうごくにいるようなことなのです
これを 「みえるか」すれば あんがいかんたんなところに だっしゅつほうほうがあるかもしれない
まず みえないろうごくをみんなでみることからはじまるのです
せいかくな みとりず をつくりましょう
そうすれば じんせいは だつごくさすぺんす!
*
じんせいのろうごくは そとにあるのではありません
いわば ないぞうされている のです
だから みえないのです
さいしょから ないぞうされているのではなくて おさないときにうめこまれるのです
このぷろせすを せつめいすると のみのさーかす になります
たいへん よくつかいまわされたひゆなので ごぞんじのかたには もうしわけないです
いつもは おりじなるなひゆをかんがえるのですが こんかいはあまりにぴったりなので これでいいです
このはなしは 『むしのいろいろ』おざきかずおさんのほんから
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のみをつかまえて、小さな丸いガラス玉に入れる。
彼は得意の脚で跳ね回る。
だが、周囲は鉄壁だ。
散々跳ねた末、もしかしたら跳ねるということは間違っていたのじゃないかと思いつく。
試しにまた一つ跳ねてみる。
やっぱりむだだ、彼は諦めておとなしくなる。
すると仕込手である人間が外から彼を脅かす。
本能的に彼は跳ねる。
だめだ、逃げられない。
人間がまた脅かす、跳ねる、むだだというのみの自覚。
この繰り返しで、のみはどんなことがあっても跳躍をせぬようになるという。
そこで初めて芸を習い、舞台に立たされる。
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いんようだから かんじがはいりました
よみやすいですね
さて ここから なにをよみとりますか
ここで のみは はねるというじぶんのほんせいをひていされるのです
みえないかべにぶつかる という むちでなんどでもうたれることによって とぶことはむだだとおもいこまされてしまう
そのたいけんがうめこまれる
ないぞうされるのです
そうすると がらすだまからだされても のみははねなくなるのです
それが みえないろうごくです
これが きょういくの ひとつのそくめんです
きょういくは なにかをえる とどうじに なにかをうしなうことかもしれません
のみは なにをえますか
さーかすにさんかする しかくです
もしも とぶことをわすれないのみがいれば さーかすにさんかできません
やくたたずと つぶされてしまうかもしれませんね
ひとでいえば これは しゃかいせいです
こうとうきょういくをうけることで よけいなかどがとれて かいしゃいんや おやくにんになる しかくをえることができます
かどをとられて あつかいやすいじんざいになるのです
それで ちかごろの わかいもの しんじんは はきがない こせいがない とか そうぞうせいがない とか いわれるのです
そんなつごうのいいのときにだけでてくる つけたりみたいな そうぞうせいはありません
そうぞうせいとは かのうせいをいきることですからね
のみをしこむように ひとをしこむべきでしょうか
それにさんせいのひともいるでしょう
それは さーかすのざちょう けいえいしゃのがわにたっているひとでしょう
ひとの わるいところ しゃかいにてきおうできないところを けずりおとし きょうせいする
それがきょういくである と かんがえるひとは さーかすのがわに たっているのです
さーかすのなかで ちいやざいさん しゅうにゅうがほしょうされているひとは こちらに さんせいするりゆうがあります
はねることを わすれてひさしいのみには はねるのみは めざわりなのです
つぶしてやりたくなるのです
じぶんはくろうして はねることなどわすれたのだ
みんな はねることなどわすれて じぶんのあとをついてこい といいたいのです
さーかすが うまくうんえいされているときには それはさほどわるいことではないかもしれません
しかし さーかすのけいえいがわるくなり とうさんすれば たくさんののみが かいこされます
そのときに やせいをうしない とびはねることをわすれたのみは いきていけないのです
べるをならしてえさをもってきてくれる ごしゅじんをまっている ぱぶろふのいぬは うえじにしてしまうのです
いまは どこまでいってもさーかすのせかい
でも そのさーかすのせかいは ごしゅじんさまのつくったげんそうのせかいです
そのげんそうのせかいは あまりにおおきく きょうりょくになりすぎました
きょうだいになったものは やがておとろえます
ふくらみすぎたふうせんのように いまにもきょだいなやぶれめが できそうです
そのときに はねないのみだけでは あたらしいせかいをいきのびられない
のみはとびはねる
そのほんのうと のうりょくをいかして あたらしいせかいをそうぞうする
そういう ちからがひつようです
さーかすもひつようですが さーかすのないぶだけでは のみというしゅぞくはいきていけないのです
さーかすがほうかいした つぎのせかいが よういできない
ひとりひとりが とびはねるちからをとりもどす
そこに のみるいのきゅうさいがあります
がっこうきょういくは だれのもの?
がっこうきょういくは だれのものでしょう?
だれのためにある?
こどもたちのため と こたえるひとは どうさつりょくがまずしいひとです
がっこうは くにのためにあります
だから くにがきびしくかんりしているでしょう
それは きょういくのしつをよくするためというよりは くにのほうしんを いつだつさせないためです
かいしゃには しゃいんきょういくがありますね
かいしゃのやくにたつ じんざいをそだてるためです
たしかにそれが しゃいんほんにんのためになることもあります
ならないこともあります
でも だれのためにあるか といったら かいしゃのためです
しゃいんのかのうせいをひらくために きょういくするのではありません
しゃいんののうりょく ろうどうりょくを こうりつよくおかねにかえるために きょういくするのです
ぶらっくきぎょうであれば じえいたいににゅうたいさせたり じごくのとっくんをしたりします
こんじょうと ちゅうせいしん ちょうじかんろうどうにたえる せんのうされた まいんど
そういうことをもとめるのであって よけいなことはかんがえないほうがいい
おきゃくをだましておかねをとったりするには かんじゅせいは にぶったほうがいいのです
まにゅあるのとおりに はたらけばいい
まにゅあるどおりにする しごとは たぶん はんばーがーのまくどなるどくらいから にほんにはいってきました
あれははたらくひとは なにもかんがえなくていい のです
むしろ かんがえさせない
なにもかんがえない
なにもかんじない
でもえがおは 0えん
まにゅにあるどおりにうごくための きょういくがあります
せっきゃくはいっしゅるい
だから てんいんはせっきゃくがうまくなることは ほとんどありません
おおきくしっぱいすることもありません
なめらかにしすてむがうごきます
おきゃくも なめらかにしすてむにしたがいます
このように きょういくは きょういくをするしゅたいが じぶんのつごうによってするのです
ですから くにがきょにんかけんを かんぜんににぎっている がっこうきょういくは くにのつごうのいいにんげんをつくるためにおこなわれていると かんがえてよいのです
さらに どうさつりょくがまずしいひとはいうでしょう
くに というのは つまり われわれじしん ではないか? と
そういうひとは かいしゃも われわれじしん だとかんがえるでしょう
しゃちょうはおくまんちょうじゃで ごうていにすみます
なんねんもつとめたしゃいんのてどりが 15まんえんです
かいしゃはわれわれじしんでしょうか
ひらしゃいんは いつかしゃちょうになりますか
なりません
くににも おなじことがいえます
くにのけんりょくは こていしています
ぎいんのおおくは せしゅうです
せいじのしくみは たとえばこうなっているとそうぞうされます
がいこくに100おくえんのぜいきんをきふします
きふのときのやくそくにしたがって そのうちの10おくえんが にほんのきぎょうにかえってきます
そのりえきのうち1おくえんが せいふよとうに きふされます
そうすると 100おくえんのぜいきんが1おくえんの せいじかのおかねになります
1ぱーせんと。
このみかえりりつは ひくいかもしれません
3ぱーせんと 5ぱーせんと とかえってくれば もっといいしかけです
そもそもがきょがくですから ひくいぱーせんてーじでもきょがくになります
もともとはぜいきんですから ゆみずのようにつかって じぶんのかねにかえればいいのです
こうしたおかねで しふくをこやしながら そのおかねでじぶんのせいりょくをふやしていくのが にほんでは ほしゅの やりてのせいじか です
このような おかねのながれ しすてむがせしゅうされるのです
うおごころ あれば みずごころ
ひょうや おかねをもっている きぎょうや しゅうきょうだんたいとの みえないきずながつよくなります
それは いちだいではとてもできないのです
せしゅうによって つーといえば かーになるのです
あうんのこきゅう
おやくにん かんりょうもそうです
どんなにあたまがよくて ゆうしゅうで ふんこつさいしん はたらいても いちだいでは じゅうようなぽすとには つけないと あるおやくにんから ききました
おやのだいからのこね じんみゃくがひつようなのです
ですから けっこんあいても そのようなちいにぷらすになる あいてをさがさなければいけません
これがいわゆる けいばつ こんいんによる はばつのけいせいです
けんりょくのざ というものは このようにくろうしてけいせいするものですから ぜったいにてばなせません
じぶんのけんりょくをさらにかくだいし らいばる したからくるものは けおとします
じぶんにちゅうせいをちかうものは こきつかってためします
じぶんのちいをあげたいものは うえのものには こびへつらわなければなりません
りふじんなしうちにもたえて じぶんがいばるばめん がくるのをまちます
せんきょのときも ひょうをとりまとめてくれるだんたいとのつながりがあります
きぎょう しゅうきょうだんたい だらくした ろうどうくみあい
おたがいに あまいしるをすいあうのです
こういう めにみえないしすてむが ゆっくりとけいせいされてきたのです
ですから そしきひょうに こじんのひょうは ほとんどかないません
こじんひょうは きけんするひともおおいし じぶんは なんのあまいしるもすえるわけではないのに かんちがいして ほしゅとうに とうひょうするひともいるからです
せんにんのせいじてきなたちばは けんりょくは こていしすぎないほうがいい ということです
けんりょくがこていすると りけんもこていして しゃかいのはってんのかのうせいがすくなくなります
それがこじんのかのうせいのはってんも じゃまします
せんにんは かのうせいをひらくことで じんるいをすくいます
あたまがつかれましたね
まとめましょう
1 きょういくは くにのためにある
2 かいしゃがわれわれじしんではないように くには われわれじしんではない
ふたつもたいせつなことをまなびました
あめと むち のせかい
ぜんかい しゅくだいをだしました
「がっこうのどこに かのうせいと じこけっていのさいくるがあるか さがしてみましょう」
せいかいは ありません
せんにんは せんせいのように せいかいをにぎっていません
なーんだと がっかりしたひともいますか?
そういうひとは がっこうきょういくの ぱたーんにはまっているのです
がっこうに じこけっていのさいくるを みつけだしたひとは それをたいせつにしてください
そして そのさいくるを さらにはってんさせるにはどうしたらいいか かんがえてください
みつけだせなかったひとは それはこどもたちにとって むずかしいかんきょうである ということをかんがえつづけてください
かんがえのさいくるは そのようにすすんでいきます
おわりがないのです
こどもが つみきや すなで むちゅうになって おしろをつくっています
いつまでも つくりおわることがありません
どんどん かいぞうしていきます
あるいはできかけたのをこわして またつくりはじめます
つかれをしりません
というか えねるぎーがきれたとたんに ばたんとねて おきたとたんにはじまります
いつもなにかにむちゅう
それが あそびのぱわーです
よのなかには ちゅうそつでせいこうしているひとが けっこうたくさんいます
それは このぱわーをうしなわなかったひとです
ふつうのひとは だいがくにいくころには このぱわーをうしなっています
このぱわーのなかに ひとのせいちょうのぷろせすのひみつが みんなつまっています
あそびのぱわーにたいして どりょくはどうでしょう?
よのなかのだいぶぶんのひとは あそびはわるいこと どりょくはよいこと とおもいこんでいますね
がっこうでは どりょくしなさい とおそわります
がっこうでは じぶんのかんがえが まるかばつか せんせいがひょうかしてくれます
どりょくして ひょうかされる
どりょくして ひょうかされる
どりょくして ひょうかされる
これは ぱぶろふのいぬです
ここには せいとが じこひょうかする さいくるはありません
あそんでいるこどもは おしろがきにいらないとぶっこわしますが がっこうでは れそはせんせいが ひょうかします
きのう たいせつなことをかきわすれていました。
きのうは かのうせいと じこけっていのぶろせす をいかのようにかきました
**
1 かのうせいをみつけだす
2 かのうせいの りすとをととのえる
3 かのうせい から じこけっていし じっこうする
4 じっこうした けっかをひきうける
→ こうどうしたけっかのせかいから ふたたび かのうせいを みつけだす(くりかえす)
**
この4のところに じこひょうかする というのがはいるのです
4 じっこうした けっかをじこひょうかする (ひきうける)
という ひょうげんがいいかもしれません
じぶんでしたことを じぶんでひょうかして つぎのくふうにむすびつける
そこにしんぽがあります
しこうさくごがあります
それは せんせいがばつにしたもんだいのまちがいを ふくしゅうするのとは おおいにちがうのです
がっこうでは じぶんのしたことを いつもせんせいがひょうかします
どりょくして ひょうかされる
どりょくして ひょうかされる
どりょくして ひょうかされる
たかいてんをとると ほめられる
ひくいてんをとると しかられる せめられる
あめと むち
あめと むち
あめと むち
このぱぶろふのいぬは どうなっていきますか?
ひょうかされるために どりょくするようになるのです
てすとのかんにんぐ がありますね
かんにんぐでとったてんは ほんにんのちからでは ありません
じつりょくではなく ひょうかだけ ほしいのです
てすとまえ いちやづけのべんきょう がありますね
それは ちしきをふやしたり かんがえるちからをあげることではありません
とりあえず めのまえのてすとのてんを あげたいのです
このような てすとのけっか つうしんぼのせいせきは しんがくや しゅうしょくとひもづけられています
みらいという げんそうのなかでも
へんさちのたかい だいがくをでれば あんらくで かねもちで よいせいかつ
へんさちのひくい だいがくをでれば だいぶおとるせいかつ
と むすびつけられるのです
ここでも
あめと むち
あめと むち
あめと むち
くりかえされる あめと むち
このような ぱぶろふのいぬのわなに ふりょうや おちこぼれたちは ほんのうてきに きづいているのではないでしょうか
でも かれらには ふかいどうさつりょくや ひょうげんりょくが まだない
そして ばらばらに こりつしているから わなをやぶれないのです
このぱぶろふのいぬは そのあと どうなっていきますか?
ひょうかされるために どりょくするようになったのです
たにんのひょうかをえることが もくてきになったのです
じぶんで もくひょうをたてられなくなります
じぶんで じぶんのしたことをひょうかできなくなります
たにんのひょうかを いつもまつようになります
じぶんではんだんをできなくなります
じぶんではんだんをしているようにみえても じぶんのなかにいるたにんのひょうかをまねているのです
じぶんでもくひょうをたてているようにみえても まわりのひとがよろこんでうけいれてくれそうなことを むいしきにもくひょうにするのです
そういうことから はぐれてしまうと じぶんがなにをしたらいいか わかりません
なにをしたらたのしいか じぶんがなにをかんじているのか もわからなくなります
むちゅうになって つみきのおしろをつくっていたこどもはいなくなりました
きょろきょろと まわりをみまわして せんせいや おやがなにをのぞんでいるか さぐる こどもがいます
それがわからないと まわりのひとのふるまいをみて まねをして めだたないように ふるまうこどもになります
ですから ぱぶろふのいぬになったこどもは だれかが あめとむちでみちびいてくれるのを まっています
いつまでも まっています
*
きじをかいているとき こんなのみつけました
くるった きょういく 2
きのう このようなこどもたちについて かきました
「じぶんでなにかをきめて そのけっかをひきうけたことがないからです
おやがきめたとおりのことしかしていないから じこけっていというばめんにいちどもであっていないのです」
じこけってい いいことばです
かのうせい と じこけっていは おとこ と おんな でこ とぼこ のように ついになっています
かのうせいがあっても じこけっていがなければ そこには なにもうまれません
じこけっていのうりょくがなければ かのうせいも きえてしまうのです
かのうせいと じこけっていのぷろせすは つぎの4つになります
1 かのうせいをみつけだす
2 かのうせいの りすとをととのえる
3 かのうせい から じこけっていし じっこうする
4 じっこうした けっかをひきうける
→ こうどうしたけっかのせかいから ふたたび かのうせいを みつけだす(くりかえす)
これが かのうせいと じこけっていにかんする おさかなでいったら あたまからしっぽまでです
このさいくるをくりかえしながら たましいは たくましくなっていきます
いまの がっこうきょういくは このあたまからしっぽまでがありません
まず かのうせいがさいしょから ありません
がっこうにいかない という せんたくしがありません
おやも せけんも がっこうも「がっこうにはいくものだ」ときめています
こどもも そういうものか とおもいます
いくかいかないか えらべません
がっこうえらべません
せんせいえらべません
じゅぎょうもえらべません
じゅぎょうでは しこうさくごはありません
じぶんでためすことがありません
せんせいがしろ といったことをします
せんせいがおぼえろ といったことをおぼえます
なにがただしいか すでにきまったせかいで だれかがきめたちしきを あたまにつめこみます
いわれたとおりのけつろんにならないと ばつがつきます
ばつがたくさんつくと てすとのせいせきがわるくなります
おやも せんせいもせけんも てすとのせいせきでこどもに よいわるいをいいます
まるはよく ばつはわるい
てんすうがたかいのはよく ひくいのはわるい
おやや せんせいは ぱぶろふのいぬのように そのようにひょうかします
すると こどもも ぱぶろふのいぬのように じぶんのよい わるいをいんぷっとします
このようなぱぶろふのいぬが やがて ぱぱになり ままになり ぱぶろふのいぬが せけんというかべになります
ぱぶろふのいぬには かのうせいがありません
べるがなると よだれがでます
これががっこうでおきていることです
*
しゅくだい
がっこうのどこに かのうせいと じこけっていのさいくるがあるか さがしてみましょう
かんがえることは かのうせいをさがすことです
そして かんがえたけっかをひとにつたえるように げんごかすることは じこけっているすることです
かんがえましょう