かめは なにをかんじるか
とくぎ かめよせ●これは くさのかげですが かめがかくじつに じわじわとよってくるのが わかります。 きがつくと あしもとにべつのかめがよってきていたので きゅうに かめらをそちらにふって おわります pic.twitter.com/Jc5fnrmIpM
— symbolist (@muramatsukouhei) 2017年7月9日
ある とくべつなこういによって なぜ かめがよってくるか?
これは わかりません
じっさいに せんにんがしていることは てをかるくうごかしているだけなのです
これが なにか かんかくにたいして しげきがあるのだとおもいます
たとえば めにひかりがみえる
みみに おとがきこえる
はなに においをかんじる
そのように へんかんしているのかもしれません
かめは そんなにとおくのものをみる のうりょくがないので ちょくせつ めで しかくてきに はんのうしているのではないのです
ですから つよいひかりがみえるとか おいしそうなにおいがするとか いいおとがするとかに へんかんされているのではないかとおもうのです
あるいは まったくちがう かんかくが あるのかもしれません
かめの こうらは さいしんのれーだーににています
ここに なにか ふしぎなかんかくがある かのうせいがあります
じんるいのはめつ そして ききについて
じんるいのきゅうさい というからには そのはんたいのじょうきょう ききてきじょうきょう が なくてはいけません
こんかいは そのことについてかんがえます
ききとはなにか?
それは ほうっておけば とおからず はめつにむかう というじょうたいです
せかいがききだといわれるのは べつに めあたらしいことではありません
にほんでは せんねんもまえに まっぽうしそう がはやりました
さいきんでは まやれき とか のすとらだむす とか ふぉとんべると とか あせんしょん とか わくせいちょくれつ とか。
はめつとは なんでしょうか
じんるいがぜつめつすることでしょうか?
それはひとりのこらずいなくなること?
10にんくらいのこったら どうでしょう
あるいは 99ぱーせんとがしんで 1ぱーせんとがのこったら?
それは げんみつには じんるいぜつめつではない
では 50ぱーせんとがしんだら?
それはぜつめつとはいわなでしょう
では はめつでしょうか?
わたしたちのめからは じゅうぶんに はめつてきにみえるとおもいます
せかいじんこうは 70おくにんといわれています
そのなかの 35おくにんがしぬじたいがきたら わたしたちは せかいのおわり とかんじるでしょう
すうじは ちゅうしょうてきで こわいですね
50ぱーせんとくらいなら まあまあだな とおもってしまいますからね
しぬほうの50ぱーせんとに じぶんや かぞく ともだちがはいっていたら どんなにかなしくて ひさんでしょう
はちのすや ありのすを わたしたちはみることがあります
「むしけらのくせに ちゃんとしゃかいせいかつを いとなんでやがらあ」
とわたしたちは かんしんしますね
それとおなじように ちきゅうじんるいをみおろしたら どうでしょう?
はやまわしにしてみると、どんどん いそがしくびるをたてたり あちこちでせんそうをして なかまをころしたり まちをこなごなにはかいしたりしています
どんどんねっとわーくがはったつして じょうほうがとびかったり おかねがうごいたりするのは たいへんこうどです
このようにみると ひとというものは たいへんげんきで かつどうてきにいろいろなものをつくりだしています
おおきな しぜんさいがいは ときどきありますが そんなことにめげるいきものではありません
でも かくへいきや かくのはつでんしょは たいへんきけんで このいきものがぜんめつしてしまう かのうせいがあります
かくへいきは ちきゅうじんるいを なんじゅっかいもはめつさせられるだけもっているそうです
いっかいはめつさせれば じゅうぶんなのにね
そういうじょうたいになってから なんじゅうねんかの つきひがたっています
いままでは かくへいきは さほどつかわれていません
いちばん だいだいてきに ひとのいるばしょに かくばくだんがつかわれたのは にほんです
せかいさいだいの げんぱつじこがおきたは どこでしょう?
にほんです
この ちいさなしまぐにに なぜかしゅうちゅうしています
そして このちいさなくにの げんぱつじこをみて ほぼ せかいじゅうのくにぐにが げんぱつはおそろしいし わりにあわないからやめよう というながれになっています
しかし にほんは とうじしゃであるにもかかわらず やめません
このくにのせいふは やめるか? つづけるか? とかんがえたり なやんだようすがありません
つづける つづける つづける しゅくしゅくと つづける どりょくをしています
いわば やめる という せんたくしが さいしょから ないのです
じんるいの きゅうさいは かのうせいを ひらくことだと かきましたが こんなだいじなことに せんたくしが とじられているのです
げんぱつじこでは おおくのかのうせいが とじられました
ひとつのかのうせいをとじると ばたふらいえふぇくとで いろいろな かのうせいがとじるのです
じんるいは かくによって おおきすぎるちからを えました
そして ものごとをけっていしていくたんいも おおきくなりました
くにというおおきなたんいがきめることが ひきかえせないえいきょうを ひとりひとりのひとにあたえるようになりました
まちがったみちをいったときに まちがっていたとにんしきして よいほうこうにしゅうせいするのを しこうさくごといいます
しかし いま きょだいなえいきょうのあるけっていに しっぱいすることは きがるにしこうさくごするには おおきすぎるきけんがあるかもしれません
しかも しっぱいしたときに よいほうこうに ほうこうてんかんできないで おなじほうこうにつきすすむ
かのうせいをひろくみるしやがない
これを ききといいます
ききとは かのうせいをうしなうこと です
こころのちいさなききから せんそうや おおきなぼうりょくのききまで つながっています
ひとつのおりものです
かのうせいをうしなったものが おりなす ききのめかにずむ なのです
あたまがつかれましたね
またじかい
ふじいよだん と しんぎゅらりてぃ
しょうぎのせかいで 14さい ちゅうがく2ねんの ふじいよだんが ぷろになってすぐに29れんしょうしました
たいへんな わだいと にんきに なりましたね
どうして こんなにつよいのでしょう?
それは さいのうや どりょくは もちろんですが こんぴゅーたそふとを じょうずに くんれんにとりこんだからです
しょうぎのきし は もともと てんさいのあつまりですから てんさいも どりょくかも あたりまえのはなしです
それだけでは これほど さはつかなかったのです
こんぴゅーたーからまなんだから つよくなったのです
しょうぎ いごのせかいでは ここすうねんで あきらかに ひとより こんぴゅーたーがつよくなってしまったのです
しんぎゅらりてぃ を ごぞんじ でしょうか?
かんたんにいうと こんぴゅーたがにんげんをこえるひ です
いろいろむずかしそうな ぎろんがありますが かんたんにみればいいのです
しょうぎと いごにおいては このしょうげきてきなじけんが すでにおきたのです
そこでなにがおきたか をみれば これからのせかいがわかります
2つのことにちゅうもく しましょう
1つは こんぴゅーたーは ぷろがまったくそうぞうしない てをさすことがある ということです
これは いごでもおなじです
ぷろがもんだいがい として よまない いがいなてをさすことがあるのです
ぷろは なんじゅってもさきをよみますが ぜんぶのえだわかれをよむわけではありません
すじがわるい とよまずにすててしまう らいんがあるのです
それは しょうぎのかんかくであり でんとうてきな りょうかいじこうであり びいしき きせいがいねん でもありました
こんぴゅーたーは そのぷろがすててしまう すじのなかから いがいな さいぜんしゅを さすことがあるのです
いご しょうぎは たいへん りちてきな ひとのずのうのぎりぎりまでをしぼりだすような げーむです
そのせかいにも たいへんに じゅうらいのものにとらわれた しこうぱたーんがあったということです
これがだい1のてん
だい2は その こんぴゅーたーのちからを すなおにきゅうしゅうするちからのあった ふじいよだんがでてきたことです
かれは まだそだちざかりなので すぽんじのように きゅうしゅうできるでしょう
*
これをよのなかぜんたいにあてはめると また2つのことがでてきます
とおくないしょうらい えーあいは さまざまなしゃかいもんだいにも かっきてきなかいけつをもたらすでしょう
てきせつなぷろぐらみんぐさえあれば むずかしいもんだいにも ひとのきせいがいねんをこえた かいけつをもたらすかのうせいは たいへんたかいです
そこには ぷろぐらみんぐするひとのちせいがいります
また かぎられたひとびとのりえきではなく じんるいのきゅうさいのためにつかわれることもじゅうようです
だい2のてんは これからふじいよだんのような こんぴゅーたーにそだてられた てんさいが あらゆるせかいにうまれてくる ということです
したがって かのうせいのとびらが おおきくひらかれるのです
わたしたちは じぶんのかのうせいを といかけ ひらきながら あたらしいじだいにそなえ またなければ なりません
もし わたしたちが かのうせいにめをむけなければ この2つのかくめいは かいかしないのです
*
さいごにたまたまみかけた ふらんすのてつがくしゃのきじをしょうかいしましょう
このようにしんぎゅらりてぃのはなしは ずいぶんちゅうしょうてきにかたられているのです
ばたふらいえふぇくと
ばたふらいえふぇくと を しっていますか?
かのうせいは れんどうするのです
いつもあたまごなしに こどもをどなりつける おかあさんが すこしくふうして いいかたをかえたときに こどもは たいどやひょうじょうが あかるくなります
それをみていた おとうさんもきげんがよくなります
よくじつ おとうさんは かいしゃでぶかをどなりつけるばめんで ちょっといいかたをかえて ぶかにわからせるようにします
ぶかは のびのびとしたきもちではたらいて そのぶん しごとがのびます……
*
すごい れんさはんのうでしょう
だれもが じぶんのかのうせいを ひらいていけば なにがおきるか わかりません
このぷろぐでは かのうせいについて かいていきます
かめをたべる かのうせいをかんがえる
とくぎ かめよせ 2 pic.twitter.com/PcCidA2N0P
— symbolist (@muramatsukouhei) 2017年7月5日
とくぎ かめよせ3 pic.twitter.com/fYMiEIA8Ze
— symbolist (@muramatsukouhei) 2017年7月5日
とったどうがをじゅんにのせています
あしもとで けなげにこちらをみています
えさのみりょく とかではないのです
このいけでは だれもえさをあげません
こけむした まるたが みえますでしょう。
ここが ていいち です
ばしょは めじろの おとめやまこうえん
*
どうがこうかいしていたら かめ つかまえて たべようといってきたともだちがいました
せっかくよってきてくれた かめをたべるわけにはいきません
しかし すーぷにすると おいしいらしいです
にこごりもぜっぴん
ということです
このかめは
みどりがめのいっしゅで
みししっぴあかみみがめ
というものらしいです
がいらいしゅで ぺっととしてかっていたものをだれかが いけにはなしたのでしょう
せいたいけいをはかいする しんにゅうしゃ なので とってもかんりじむしょにはおこられない と おもいます
でも つうこうにんにみられたら なんてひどいことをするのだ とおもわれるかのうせいは たかいです
とりあえず うえじにしそうになったら かめよせのとくぎは やくにたちます
すぷーんまげ よりね
*
かめのすーぷ ではなく みをたべるおもしろいぶろぐ ありました
かいたいのようすも しゃしんがありますから いやなひとはみないでください
ひとのかのうせい の てつがく
ひとのかのうせいは せんたくし だとして
きょうはそのさきを はなしましょう
およそ ひとつのばめんで ひとにはどれくらい せんたくしがあるとおもいますか?
どらごんくえすと には、たいてい4つくらいの こまんど つまりせんたくしがありました
たたかう にげる はなしかける ……あと、わすれました
ひとが あるばめんでえらべるせんたくしは それよりおおいでしょうか?
ここで うーん とかんがえてしまったひとは じぶんのかのうせいにまったくきづいていません
かのうせいは いちびょう いちびょうに ほぼむげんにあるのです
ひとつのおしばいのせりふ やくしゃさんなら なんじゅっとおりものいいかたでいうことができます
こえの きょうじゃく だいしょう こわいろ おんてい そのそこにあるかんじょう……
それぞれをびみょうにかえていけば むげんのくみあわせがあるのです
そのときの ひょうじょう しぐさも それぞれむすうにあります
きまったせりふでも これだけのかのうせいがあります
でも じんせいのぶたいにたつ わたしたちは せりふすら じゆうにかえられるのです!
もう むげんだい でしょう
では だまっているとき はなしあいてがいないときは どうでしょう?
じつは ただたっているとき すわっているとき あるいているときにも むげんのかのうせいがあります
たちかたにも いろいろありますね
きれいなたちかた もあれば そうでもないのもあります
それは からだのいしきのもちかたで かわります
いしきのもちかたが きんにくのきんちょうや しかんのバランスをつくりだします
あるきかた おじぎのしかたなど きれいなひとは いしきのもちかたがちがうのです
あるいている というこういを ひとつとかぞえれば せんたくしはひとつになるかもしれません
でも どのようにあるいているかに ちゅうもくすれば それは まったくひとつではありません
ねこぜであるくとじめんがみえます
しせいよくあるくと もっとずっとうえのほうがみえますね
そうすると めからいんぷっとされる じょうほうがかわるのです
じょうほうがかわれば かのうせいもかわります
したをみていれば なにかをひろうかもしれません
うえをみていれば きもちがはればれするとおもいます
なにをみて なにをかんじるか
そのときに どんなことばをおもいうかべるか
こころのなかにどんなことばをうかべるか まで ふくめると かのうせいはまたまたなんじゅうばい なんびゃくばいにふくれあがります
そのせんたくしの なにをえらぶかで あなたのじんせいがべつのこーすにいく でしょう
そういういみでは わたしたちは ぱられるわーるどのひとつ を すきなように えらんでいるのです
これが せんにんのいう じんるいきゅうさいのかのうせいです
いろいろとここから はなしがひろがるところですが あたまがつかれるでしょうから つぎにしましょう
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とくぎ かめよせ pic.twitter.com/fegX6x7Z0v
— symbolist (@muramatsukouhei) 2017年7月3日
かいせつ
あるひ
ちかくのこうえんで あることをしていると かめが よってきた
えさをやる とかではない
このこうえんには えさをあげるひとはいない
きのせいかとおもって よくじつもおなじことをすると またよってきた
それから はれたひはまいにち あることをすると かめがよってくる
そういう どうががたくさんあるので すこしづつ のせていこう
あることとは せんにんのしごとである
せんにんの べつのとくぎである
これはいっしゅの ふくさよう
しっているひとはしっている
しらないひとはしらない
せつめいすると ややこしいので まだくわしく かかない
とても ふしぎな おもしろいげんしょうだ
いまのかがくの そとがわにある
このどうがは かめがあしもとに よってきている
もっとなんびきも およいで よってくるところのどうがも いくつもある
さいしょは こんなものでいいだろ