ひらがなせんにんの じんるいきゅうさいけいかく

ひみつのけいかくにさんかしよう! 

かめは なにをかんじるか

 

かめは そんなにとおくのものをみる のうりょくがないので ちょくせつ めで しかくてきに はんのうしているのではないのです

 

ですから つよいひかりがみえるとか おいしそうなにおいがするとか いいおとがするとかに へんかんされているのではないかとおもうのです

 

あるいは まったくちがう かんかくが あるのかもしれません

 

かめの こうらは さいしんのれーだーににています

 

ここに なにか ふしぎなかんかくがある かのうせいがあります

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

じんるいのはめつ そして ききについて

じんるいのきゅうさい というからには そのはんたいのじょうきょう ききてきじょうきょう が なくてはいけません

 

こんかいは そのことについてかんがえます

 

ききとはなにか?

 

それは ほうっておけば とおからず はめつにむかう というじょうたいです

 

せかいがききだといわれるのは べつに めあたらしいことではありません

 

にほんでは せんねんもまえに まっぽうしそう がはやりました

 

さいきんでは まやれき とか のすとらだむす とか ふぉとんべると とか あせんしょん とか わくせいちょくれつ とか。

 

はめつとは なんでしょうか

 

じんるいがぜつめつすることでしょうか?

それはひとりのこらずいなくなること?

 

10にんくらいのこったら どうでしょう

 

あるいは 99ぱーせんとがしんで 1ぱーせんとがのこったら?

それは げんみつには じんるいぜつめつではない

 

では 50ぱーせんとがしんだら?

それはぜつめつとはいわなでしょう

 

では はめつでしょうか?

わたしたちのめからは じゅうぶんに はめつてきにみえるとおもいます

 

せかいじんこうは 70おくにんといわれています

そのなかの 35おくにんがしぬじたいがきたら わたしたちは せかいのおわり とかんじるでしょう

 

すうじは ちゅうしょうてきで こわいですね

50ぱーせんとくらいなら まあまあだな とおもってしまいますからね

しぬほうの50ぱーせんとに じぶんや かぞく ともだちがはいっていたら どんなにかなしくて ひさんでしょう

 

はちのすや ありのすを わたしたちはみることがあります

「むしけらのくせに ちゃんとしゃかいせいかつを いとなんでやがらあ」

とわたしたちは かんしんしますね

 

それとおなじように ちきゅうじんるいをみおろしたら どうでしょう?

 

はやまわしにしてみると、どんどん いそがしくびるをたてたり あちこちでせんそうをして なかまをころしたり まちをこなごなにはかいしたりしています

 

どんどんねっとわーくがはったつして じょうほうがとびかったり おかねがうごいたりするのは たいへんこうどです

 

このようにみると ひとというものは たいへんげんきで かつどうてきにいろいろなものをつくりだしています

 

おおきな しぜんさいがいは ときどきありますが そんなことにめげるいきものではありません

 

でも かくへいきや かくのはつでんしょは たいへんきけんで このいきものがぜんめつしてしまう かのうせいがあります

 

かくへいきは ちきゅうじんるいを なんじゅっかいもはめつさせられるだけもっているそうです

いっかいはめつさせれば じゅうぶんなのにね

 

そういうじょうたいになってから なんじゅうねんかの つきひがたっています

 

いままでは かくへいきは さほどつかわれていません

 

いちばん だいだいてきに ひとのいるばしょに かくばくだんがつかわれたのは にほんです

 

せかいさいだいの げんぱつじこがおきたは どこでしょう?

 

にほんです

 

この ちいさなしまぐにに なぜかしゅうちゅうしています

 

そして このちいさなくにの げんぱつじこをみて ほぼ せかいじゅうのくにぐにが げんぱつはおそろしいし わりにあわないからやめよう というながれになっています

 

しかし にほんは とうじしゃであるにもかかわらず やめません

 

このくにのせいふは やめるか? つづけるか? とかんがえたり なやんだようすがありません

つづける つづける つづける しゅくしゅくと つづける どりょくをしています

 

いわば やめる という せんたくしが さいしょから ないのです

 

じんるいの きゅうさいは かのうせいを ひらくことだと かきましたが こんなだいじなことに せんたくしが とじられているのです

 

げんぱつじこでは おおくのかのうせいが とじられました

 

ひとつのかのうせいをとじると ばたふらいえふぇくとで いろいろな かのうせいがとじるのです

 

じんるいは かくによって おおきすぎるちからを えました

 

そして ものごとをけっていしていくたんいも おおきくなりました

くにというおおきなたんいがきめることが ひきかえせないえいきょうを ひとりひとりのひとにあたえるようになりました

 

まちがったみちをいったときに まちがっていたとにんしきして よいほうこうにしゅうせいするのを しこうさくごといいます

 

しかし いま きょだいなえいきょうのあるけっていに しっぱいすることは きがるにしこうさくごするには おおきすぎるきけんがあるかもしれません

 

しかも しっぱいしたときに よいほうこうに ほうこうてんかんできないで おなじほうこうにつきすすむ

かのうせいをひろくみるしやがない

 

これを ききといいます

 

ききとは かのうせいをうしなうこと です

 

こころのちいさなききから せんそうや おおきなぼうりょくのききまで つながっています

ひとつのおりものです

かのうせいをうしなったものが おりなす ききのめかにずむ なのです

 

 

 

あたまがつかれましたね

またじかい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふじいよだん と しんぎゅらりてぃ

しょうぎのせかいで 14さい ちゅうがく2ねんの ふじいよだんが ぷろになってすぐに29れんしょうしました

 

たいへんな わだいと にんきに なりましたね

 

どうして こんなにつよいのでしょう?

 

それは さいのうや どりょくは もちろんですが こんぴゅーたそふとを じょうずに くんれんにとりこんだからです

 

しょうぎのきし は もともと てんさいのあつまりですから てんさいも どりょくかも あたりまえのはなしです

それだけでは これほど さはつかなかったのです

 

こんぴゅーたーからまなんだから つよくなったのです

 

しょうぎ いごのせかいでは ここすうねんで あきらかに ひとより こんぴゅーたーがつよくなってしまったのです

 

しんぎゅらりてぃ を ごぞんじ でしょうか?

 

技術的特異点 - Wikipedia

かんたんにいうと こんぴゅーたがにんげんをこえるひ です

 

いろいろむずかしそうな ぎろんがありますが かんたんにみればいいのです

 

しょうぎと いごにおいては このしょうげきてきなじけんが すでにおきたのです

 

そこでなにがおきたか をみれば これからのせかいがわかります

 

2つのことにちゅうもく しましょう

 

1つは こんぴゅーたーは ぷろがまったくそうぞうしない てをさすことがある ということです

 

これは いごでもおなじです

 

ぷろがもんだいがい として よまない いがいなてをさすことがあるのです

 

ぷろは なんじゅってもさきをよみますが ぜんぶのえだわかれをよむわけではありません

 

すじがわるい とよまずにすててしまう らいんがあるのです

 

それは しょうぎのかんかくであり でんとうてきな りょうかいじこうであり びいしき きせいがいねん でもありました

 

こんぴゅーたーは そのぷろがすててしまう すじのなかから いがいな さいぜんしゅを さすことがあるのです

 

いご しょうぎは たいへん りちてきな ひとのずのうのぎりぎりまでをしぼりだすような げーむです

 

そのせかいにも たいへんに じゅうらいのものにとらわれた しこうぱたーんがあったということです

 

これがだい1のてん

 

だい2は その こんぴゅーたーのちからを すなおにきゅうしゅうするちからのあった ふじいよだんがでてきたことです

 

かれは まだそだちざかりなので すぽんじのように きゅうしゅうできるでしょう

 

*

これをよのなかぜんたいにあてはめると また2つのことがでてきます

 

とおくないしょうらい えーあいは さまざまなしゃかいもんだいにも かっきてきなかいけつをもたらすでしょう

てきせつなぷろぐらみんぐさえあれば むずかしいもんだいにも ひとのきせいがいねんをこえた かいけつをもたらすかのうせいは たいへんたかいです

 

そこには ぷろぐらみんぐするひとのちせいがいります

また かぎられたひとびとのりえきではなく じんるいのきゅうさいのためにつかわれることもじゅうようです

 

だい2のてんは これからふじいよだんのような こんぴゅーたーにそだてられた てんさいが あらゆるせかいにうまれてくる ということです

 

したがって かのうせいのとびらが おおきくひらかれるのです

 

わたしたちは じぶんのかのうせいを といかけ ひらきながら あたらしいじだいにそなえ またなければ なりません

 

もし わたしたちが かのうせいにめをむけなければ この2つのかくめいは かいかしないのです

 

*

 

さいごにたまたまみかけた ふらんすのてつがくしゃのきじをしょうかいしましょう

 

このようにしんぎゅらりてぃのはなしは ずいぶんちゅうしょうてきにかたられているのです

 

 

 

 

 

 

wired.jp

 

 

ばたふらいえふぇくと 

ばたふらいえふぇくと を しっていますか?

 

バタフライ効果 - Wikipedia

 

かのうせいは れんどうするのです

 

いつもあたまごなしに こどもをどなりつける おかあさんが すこしくふうして いいかたをかえたときに こどもは たいどやひょうじょうが あかるくなります

それをみていた おとうさんもきげんがよくなります

 

よくじつ おとうさんは かいしゃでぶかをどなりつけるばめんで ちょっといいかたをかえて ぶかにわからせるようにします

 

ぶかは のびのびとしたきもちではたらいて そのぶん しごとがのびます……

 

*

すごい れんさはんのうでしょう

 

だれもが じぶんのかのうせいを ひらいていけば なにがおきるか わかりません

 

このぷろぐでは かのうせいについて かいていきます

 

 

 

 

 

 

 

かめをたべる かのうせいをかんがえる

 

 

 

とくぎ かめよせ 2 pic.twitter.com/PcCidA2N0P

— symbolist (@muramatsukouhei) 2017年7月5日

 

 

 

 

 

 

 

 

ひとのかのうせい の てつがく

ひとのかのうせいは せんたくし だとして

 

きょうはそのさきを はなしましょう

 

およそ ひとつのばめんで ひとにはどれくらい せんたくしがあるとおもいますか?

 

どらごんくえすと には、たいてい4つくらいの こまんど つまりせんたくしがありました

 

たたかう にげる はなしかける ……あと、わすれました

 

ひとが あるばめんでえらべるせんたくしは それよりおおいでしょうか?

 

ここで うーん とかんがえてしまったひとは じぶんのかのうせいにまったくきづいていません

 

かのうせいは いちびょう いちびょうに ほぼむげんにあるのです

 

ひとつのおしばいのせりふ やくしゃさんなら なんじゅっとおりものいいかたでいうことができます

 

こえの きょうじゃく だいしょう こわいろ おんてい そのそこにあるかんじょう……

それぞれをびみょうにかえていけば むげんのくみあわせがあるのです

 

そのときの ひょうじょう しぐさも それぞれむすうにあります

 

きまったせりふでも これだけのかのうせいがあります

 

でも じんせいのぶたいにたつ わたしたちは せりふすら じゆうにかえられるのです!

 

もう むげんだい でしょう

 

では だまっているとき はなしあいてがいないときは どうでしょう?

 

じつは ただたっているとき すわっているとき あるいているときにも むげんのかのうせいがあります

 

たちかたにも いろいろありますね

きれいなたちかた もあれば そうでもないのもあります

 

それは からだのいしきのもちかたで かわります

いしきのもちかたが きんにくのきんちょうや しかんのバランスをつくりだします

 

あるきかた おじぎのしかたなど きれいなひとは いしきのもちかたがちがうのです

 

あるいている というこういを ひとつとかぞえれば せんたくしはひとつになるかもしれません

 

でも どのようにあるいているかに ちゅうもくすれば それは まったくひとつではありません

 

ねこぜであるくとじめんがみえます

しせいよくあるくと もっとずっとうえのほうがみえますね

 

そうすると めからいんぷっとされる じょうほうがかわるのです

 

じょうほうがかわれば かのうせいもかわります

 

したをみていれば なにかをひろうかもしれません

うえをみていれば きもちがはればれするとおもいます

 

なにをみて なにをかんじるか

そのときに どんなことばをおもいうかべるか

 

こころのなかにどんなことばをうかべるか まで ふくめると かのうせいはまたまたなんじゅうばい なんびゃくばいにふくれあがります

 

そのせんたくしの なにをえらぶかで あなたのじんせいがべつのこーすにいく でしょう

 

そういういみでは わたしたちは ぱられるわーるどのひとつ を すきなように えらんでいるのです

 

これが せんにんのいう じんるいきゅうさいのかのうせいです

 

 

いろいろとここから はなしがひろがるところですが あたまがつかれるでしょうから つぎにしましょう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かいせつ

 

あるひ

 

ちかくのこうえんで あることをしていると かめが よってきた

 

えさをやる とかではない

 

このこうえんには えさをあげるひとはいない

 

きのせいかとおもって よくじつもおなじことをすると またよってきた

 

それから はれたひはまいにち あることをすると かめがよってくる

 

そういう どうががたくさんあるので すこしづつ のせていこう

 

 

あることとは せんにんのしごとである

 

せんにんの べつのとくぎである

 

これはいっしゅの ふくさよう

 

 

しっているひとはしっている

 

しらないひとはしらない

 

せつめいすると ややこしいので まだくわしく かかない

 

 

とても ふしぎな おもしろいげんしょうだ

 

いまのかがくの そとがわにある

 

 

このどうがは かめがあしもとに よってきている

 

もっとなんびきも およいで よってくるところのどうがも いくつもある

 

さいしょは こんなものでいいだろ