ひらがなせんにんの じんるいきゅうさいけいかく

ひみつのけいかくにさんかしよう! 

きょういくと のみのさーかす

だんだん しびあはなしもでてくるけれども じんるいきゅうさいのためには さけてとおれないのです

 

かのうせいにふたをされている ということは じゆうせいをうしなっていること 

てあしをしばられたり ろうやにいれられたりしているのとおなじ

 

みえない ろうごくにいるようなことなのです

 

これを 「みえるか」すれば あんがいかんたんなところに だっしゅつほうほうがあるかもしれない

 

まず みえないろうごくをみんなでみることからはじまるのです

 

せいかくな みとりず をつくりましょう

 

そうすれば じんせいは だつごくさすぺんす!

 

*

 

 

じんせいのろうごくは そとにあるのではありません

いわば ないぞうされている のです

だから みえないのです

 

さいしょから ないぞうされているのではなくて おさないときにうめこまれるのです

 

このぷろせすを せつめいすると のみのさーかす になります

 

たいへん よくつかいまわされたひゆなので ごぞんじのかたには もうしわけないです

いつもは おりじなるなひゆをかんがえるのですが こんかいはあまりにぴったりなので これでいいです

 

このはなしは 『むしのいろいろ』おざきかずおさんのほんから

 

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のみをつかまえて、小さな丸いガラス玉に入れる。
彼は得意の脚で跳ね回る。
だが、周囲は鉄壁だ。

散々跳ねた末、もしかしたら跳ねるということは間違っていたのじゃないかと思いつく。

試しにまた一つ跳ねてみる。
やっぱりむだだ、彼は諦めておとなしくなる。

すると仕込手である人間が外から彼を脅かす。

本能的に彼は跳ねる。

だめだ、逃げられない。

人間がまた脅かす、跳ねる、むだだというのみの自覚。

この繰り返しで、のみはどんなことがあっても跳躍をせぬようになるという。

そこで初めて芸を習い、舞台に立たされる。

 

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いんようだから かんじがはいりました

よみやすいですね 

 

さて ここから なにをよみとりますか

 

ここで のみは はねるというじぶんのほんせいをひていされるのです

みえないかべにぶつかる という むちでなんどでもうたれることによって とぶことはむだだとおもいこまされてしまう

 

そのたいけんがうめこまれる

ないぞうされるのです

 

そうすると がらすだまからだされても のみははねなくなるのです

 

それが みえないろうごくです

 

これが きょういくの ひとつのそくめんです

 

きょういくは なにかをえる とどうじに なにかをうしなうことかもしれません

 

のみは なにをえますか

さーかすにさんかする しかくです

もしも とぶことをわすれないのみがいれば さーかすにさんかできません

やくたたずと つぶされてしまうかもしれませんね

 

ひとでいえば これは しゃかいせいです

こうとうきょういくをうけることで よけいなかどがとれて かいしゃいんや おやくにんになる しかくをえることができます

 

かどをとられて あつかいやすいじんざいになるのです

 

それで ちかごろの わかいもの しんじんは はきがない こせいがない とか そうぞうせいがない とか いわれるのです

 

そんなつごうのいいのときにだけでてくる つけたりみたいな そうぞうせいはありません

そうぞうせいとは かのうせいをいきることですからね

 

のみをしこむように ひとをしこむべきでしょうか

 

それにさんせいのひともいるでしょう

 

それは さーかすのざちょう けいえいしゃのがわにたっているひとでしょう

 

ひとの わるいところ しゃかいにてきおうできないところを けずりおとし きょうせいする

 

それがきょういくである と かんがえるひとは さーかすのがわに たっているのです

さーかすのなかで ちいやざいさん しゅうにゅうがほしょうされているひとは こちらに さんせいするりゆうがあります

 

はねることを わすれてひさしいのみには はねるのみは めざわりなのです

つぶしてやりたくなるのです

 

じぶんはくろうして はねることなどわすれたのだ

みんな はねることなどわすれて じぶんのあとをついてこい といいたいのです

 

さーかすが うまくうんえいされているときには それはさほどわるいことではないかもしれません

 

しかし さーかすのけいえいがわるくなり とうさんすれば たくさんののみが かいこされます

 

そのときに やせいをうしない とびはねることをわすれたのみは いきていけないのです

 

べるをならしてえさをもってきてくれる ごしゅじんをまっている ぱぶろふのいぬは うえじにしてしまうのです

 

いまは どこまでいってもさーかすのせかい

 

でも そのさーかすのせかいは ごしゅじんさまのつくったげんそうのせかいです

 

そのげんそうのせかいは あまりにおおきく きょうりょくになりすぎました

きょうだいになったものは やがておとろえます

ふくらみすぎたふうせんのように いまにもきょだいなやぶれめが できそうです

 

そのときに はねないのみだけでは あたらしいせかいをいきのびられない

 

のみはとびはねる 

そのほんのうと のうりょくをいかして あたらしいせかいをそうぞうする

そういう ちからがひつようです

 

さーかすもひつようですが さーかすのないぶだけでは のみというしゅぞくはいきていけないのです

さーかすがほうかいした つぎのせかいが よういできない

 

ひとりひとりが とびはねるちからをとりもどす

そこに のみるいのきゅうさいがあります