ひらがなせんにんの じんるいきゅうさいけいかく

ひみつのけいかくにさんかしよう! 

がっこうきょういくは だれのもの?

がっこうきょういくは だれのものでしょう?

 

だれのためにある?

 

こどもたちのため と こたえるひとは どうさつりょくがまずしいひとです

 

がっこうは くにのためにあります

 

だから くにがきびしくかんりしているでしょう

 

それは きょういくのしつをよくするためというよりは くにのほうしんを いつだつさせないためです

 

かいしゃには しゃいんきょういくがありますね

かいしゃのやくにたつ じんざいをそだてるためです

 

たしかにそれが しゃいんほんにんのためになることもあります

ならないこともあります

 

でも だれのためにあるか といったら かいしゃのためです

 

しゃいんのかのうせいをひらくために きょういくするのではありません

 

しゃいんののうりょく ろうどうりょくを こうりつよくおかねにかえるために きょういくするのです

 

ぶらっくきぎょうであれば じえいたいににゅうたいさせたり じごくのとっくんをしたりします

こんじょうと ちゅうせいしん ちょうじかんろうどうにたえる せんのうされた まいんど

 

そういうことをもとめるのであって よけいなことはかんがえないほうがいい

おきゃくをだましておかねをとったりするには かんじゅせいは にぶったほうがいいのです

 

まにゅあるのとおりに はたらけばいい

 

まにゅあるどおりにする しごとは たぶん はんばーがーのまくどなるどくらいから にほんにはいってきました

あれははたらくひとは なにもかんがえなくていい のです

むしろ かんがえさせない

なにもかんがえない

なにもかんじない

でもえがおは 0えん

 

まにゅにあるどおりにうごくための きょういくがあります

 

せっきゃくはいっしゅるい

だから てんいんはせっきゃくがうまくなることは ほとんどありません

おおきくしっぱいすることもありません

なめらかにしすてむがうごきます

 

おきゃくも なめらかにしすてむにしたがいます

 

このように きょういくは きょういくをするしゅたいが じぶんのつごうによってするのです

 

ですから くにがきょにんかけんを かんぜんににぎっている がっこうきょういくは くにのつごうのいいにんげんをつくるためにおこなわれていると かんがえてよいのです

 

さらに どうさつりょくがまずしいひとはいうでしょう

 

くに というのは つまり われわれじしん ではないか? と

 

そういうひとは かいしゃも われわれじしん だとかんがえるでしょう

 

しゃちょうはおくまんちょうじゃで ごうていにすみます

なんねんもつとめたしゃいんのてどりが 15まんえんです

 

かいしゃはわれわれじしんでしょうか

ひらしゃいんは いつかしゃちょうになりますか

なりません

 

くににも おなじことがいえます

 

くにのけんりょくは こていしています

 

ぎいんのおおくは せしゅうです

 

せいじのしくみは たとえばこうなっているとそうぞうされます

 

がいこくに100おくえんのぜいきんをきふします

きふのときのやくそくにしたがって そのうちの10おくえんが にほんのきぎょうにかえってきます

そのりえきのうち1おくえんが せいふよとうに きふされます

 

そうすると 100おくえんのぜいきんが1おくえんの せいじかのおかねになります

 

1ぱーせんと。

このみかえりりつは ひくいかもしれません

3ぱーせんと 5ぱーせんと とかえってくれば もっといいしかけです

そもそもがきょがくですから ひくいぱーせんてーじでもきょがくになります

もともとはぜいきんですから ゆみずのようにつかって じぶんのかねにかえればいいのです

 

こうしたおかねで しふくをこやしながら そのおかねでじぶんのせいりょくをふやしていくのが にほんでは ほしゅの やりてのせいじか です

 

このような おかねのながれ しすてむがせしゅうされるのです

 

うおごころ あれば みずごころ

 

ひょうや おかねをもっている きぎょうや しゅうきょうだんたいとの みえないきずながつよくなります

 

それは いちだいではとてもできないのです

せしゅうによって つーといえば かーになるのです

 

あうんのこきゅう

 

おやくにん かんりょうもそうです

どんなにあたまがよくて ゆうしゅうで ふんこつさいしん はたらいても いちだいでは じゅうようなぽすとには つけないと あるおやくにんから ききました

 

おやのだいからのこね じんみゃくがひつようなのです

 

ですから けっこんあいても そのようなちいにぷらすになる あいてをさがさなければいけません

 

これがいわゆる けいばつ こんいんによる はばつのけいせいです

 

けんりょくのざ というものは このようにくろうしてけいせいするものですから ぜったいにてばなせません

 

じぶんのけんりょくをさらにかくだいし らいばる したからくるものは けおとします

 

じぶんにちゅうせいをちかうものは こきつかってためします

じぶんのちいをあげたいものは うえのものには こびへつらわなければなりません

りふじんなしうちにもたえて じぶんがいばるばめん がくるのをまちます

 

せんきょのときも ひょうをとりまとめてくれるだんたいとのつながりがあります

きぎょう しゅうきょうだんたい だらくした ろうどうくみあい

 

おたがいに あまいしるをすいあうのです

 

こういう めにみえないしすてむが ゆっくりとけいせいされてきたのです

 

ですから そしきひょうに こじんのひょうは ほとんどかないません

こじんひょうは きけんするひともおおいし じぶんは なんのあまいしるもすえるわけではないのに かんちがいして ほしゅとうに とうひょうするひともいるからです

 

せんにんのせいじてきなたちばは けんりょくは こていしすぎないほうがいい ということです

けんりょくがこていすると りけんもこていして しゃかいのはってんのかのうせいがすくなくなります

それがこじんのかのうせいのはってんも じゃまします

 

せんにんは かのうせいをひらくことで じんるいをすくいます

 

あたまがつかれましたね

 

まとめましょう

 

1 きょういくは くにのためにある

 

2 かいしゃがわれわれじしんではないように くには われわれじしんではない

 

ふたつもたいせつなことをまなびました