ひらがなせんにんの じんるいきゅうさいけいかく

ひみつのけいかくにさんかしよう! 

くるった きょういく

きょういくを かのうせいのしてん から みてみましょう

 

あるたんじゅんなしてんから ものごとを いんすうぶんかい する

 

これは てつがくのしごとです

 

そうすると そこに きょうざつぶつ ふじゅんぶつ つまり よくないまじりものがはいっていることがわかるのです

 

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いまのがっこうきょういくは こどものかのうせいをかいはつするものでしょうか?

それともげんていするものでしょうか?

 

これをかんがえるには いちばんさいしょに つぎのようにかんがえるのです

 

こどものたましいは たね である

あかいはなながさくか しろいはながさくかは さいしょからきまっている

 

しろいはながさく たねに あかいみずをやっても あかいはなはさきません

 

それは いろいろなひとたちの おやこかんけいを かんさつしていれば たしかめられることです

 

こどもは おやのきたいどおり おもいどおりにはなりません

むしろ それからのがれて ずれること ほんらいしぜんのじぶんじしんになる ちゃんすをいつもさがしています

 

あるこどもたちは おやのきたいにこたえて ゆうとうせい いいこちゃんをしていて こうこうせい だいがくせいになります

つかれはてて ぐれたり うつになったひきこもったり かていないぼうりょくをふるったり そういうけーすはたくさんあるでしょう

あなたが せけんをあれこれみていれば そういうけーすを かならずしっているはず

 

おやのあつりょくがあまりにつよいと そうなります

おやのきたいにこたえて べんきょうやぴあのなど あるのうりょくはたかまっても じぶんじしんはそだたないのです

 

ちょっとずつ なまけたり はんこうしたり おやをあきらめさせるあくしょんをおこせばいいのですが それができないこどもがいます

それをゆるさないおやがいます 

 

そういうこどものこころは みはったつで せいねんきになっても ようじのときのままにとどまっています

じぶんでなにかをきめて そのけっかをひきうけたことがないからです

おやがきめたとおりのことしかしていないから じこけっていというばめんにいちどもであっていないのです

 

ですから もうこれいじょう おやのしいたれーるをはしれない だめだ! とぜつぼうしたときも では こうしよう とかんがえ じっこうすることができません

 

そうなったときに いちばん あらわしやすいけいたいが ひきこもりや ぼうりょくなのです

それはようちなせいしんでもできるからです

 

もうすこし じぶんのせいしんがそだっていると おんがくや しばいなど おやのれーるとちがうせかいに どろっぷあうとします

そこにはなかまがいる

おやとちがう げんりやせかいがあります

わるいなかまとつきあいだす というのも どろっぷあうとのけいたいです

 

たっきゅうの あいちゃんや ぼくしんぐのかめだきょうだいなどは おやがさせたいことと こどものほんらいのせいしつ さいのう したいことがいっちしていた とてもこううんなけーすです

 

れいがいといってもいいです

 

それをみてまねてはいけません

 

せんにんは ひとがみないものをみるのがしごとですから あいちゃんや かめだきょうだいはあまりみません

99,99ぱーせんとのざせつしたこどもたちをみます

 

そのこどもたちは めにはみえませんが ほんとうにたくさんいます