ひらがなせんにんの じんるいきゅうさいけいかく

ひみつのけいかくにさんかしよう! 

すいあげられる のみの さーかす

さーかすせかいのほうかいするのは おかねが いちほうこうてきにながれることでもわかります

 

おかねは こじんのおかねから おおきなしすてむのおかねにつねにすいあげられています

 

まいにち すいあげられている のをかんじますか?

わたしたちはすいあげられています

 

ときのしゅしょうが 「ぜいきんをすいあげる」というひょうげんを こっかいでつかったときには あまりにそのまま ろこつで びっくりしました。

 

ふくざつなきもちになりました

 

たぶん にほんのぜいきんは こうふたんこうふくし といわれるほくおうと もはや かわらないすいじゅんです

 

こうふたん ていふくし のせんとうをはしっているくにです

 

しかし それでもぜいきんがたりない と らいねんは ねあげするらしいです

 

これが れすとらんであれば ねだんがたかく さーびすもあじもわるい みせということになります

 

しかし てんちょうは そとでぽるしぇをのりまわしたり ともだちにおごったりしている

ざいりょうのしいれはたかく しいれたんとうしゃは わいろをどんどんもらっている

 

それで「おかねがたりないので ねあげします」といったら、おきゃくはこなくなりますね

 

しかし くにのばあいは れすとらんのように もういかない というわけにはいきません

いくのではなく うまれたときから そこにすんでいるのですからね

 

うまれたくにをすてて ほかのくににいくのはたいへんです

おかねもちや きぎょうは くにのわくをこえて おかねをうんようしたり かくしたりしますが しょみんはそうもいきません

 

というわけで ぜいきんはいわれるがままにすいあげられるのです

 

すいあげは それだけではありません

 

ねんきん

 

これもすいあげられます

 

おかねがたりなくなると しきゅうがくをへらし しきゅうねんれいをあげてちょうせつします

 

せんにんのわかいときは ねんきんはしょうらいのためにはらうもので じぶんのおかねを くにがあんぜんにうんようしてくれて そこにつみたてているいめーじでした

 

しかし はなしはいつのまにか はいってきたもので だすほうをまかなう ということになってきました

 

だから こうれいしゃがふえると はらえない というりくつです

 

では こうれいしゃがおおくなかったじだいの よじょうのおかねはどこにきえたでしょうか

 

そして ねんきんしきんは かってにかぶしきしじょうに ぶっこまれて なんじゅっちょうえんも そんしつをだしているようです

 

そのそんしつのぶんも おかねがありません ということになって しきゅうがくや しきゅうねんれいにはんえいすれば いいのです

 

こうがくれきのひとがたくさんあつまって ふくざつなせいどや かいけいしょるいや ほうりつをつくりますが しょうばいは かんたんです

おかねがたりなくなったら さーびすをさげて すいあげるきんがくをあげる

 

これでかいけつ

 

だれももんくをいいません

*

 

けんこうほけんも すいあげます

 

にほんのいやくひんしょうひは あめりかについでたかいようです

 

おいしゃも ばんばんくすりをだします

 

けんこうほけんがきくくすりは やすいので たくさんもらってよろこぶひとがいます

 

それでほけんりょうがあがります

 

らいねんも あがるようです

 

*

 

けいたい・すまほもすいあげます

 

まいつき なんぜんえんもかかりますね

 

すまほなしでは いきられない

 

おかねによゆうがないひとでも すまほにおかねはおしみません

 

そして げーむのかきん

 

これまた はまるひとにとっては すいあげ なんばーわんです

 

せんにんは げーむはしますが ぜったいに かきんにはふみこません

 

*

 

けんこうほけんいがいの いりょうほけんもすいあげます

もしものときにひつよう とみんなおもいますね

でも ほけんのかんげんりつは せいぜい40ぱーせんとくらいと すいていされています。

 

100えんのうちの60えんは こうこくひや じんけんひ りっぱなびるでぃんぐなどのしせつ にきえて 40えんぶんだけをぶんぱいするのです

 

けいば けいりんでさえ 75ぱーせんとは かんげんします

 

るーれっとで あかにかけるか くろにかけるか かんがえますね 

ほけんは じぶんにわるいことがおきるほうに まいつき ちっぷをかけることです

それでどうもとが 60ぱーせんととります

そういうかけです

 

おおくのひとは ほけんをかけだとはおもっていません

もっとあんぜんで よいものとおもっています

しょうしみんのたしなみ です

 

でも おかねがあるひとは ちょきんしたほうがいいですね

 

そうかんじさせないのが ほけんのこうこくの まじっくです

 

*

ほけんだけでなく いりょう おいしゃさん そのものが もはや すいあげしすてむになっているのです

 

これは ややこしいてーまなので ふかいりしません

 

 

*

 

しゅうきょうも はげしく すいあげます

 

いのちのねうちという おかねでは はかれないものをおしえてくれるので しんじゃにとって おかねはたいしたものではありません。

つかえばつかうほど ありがたいきもちになります

 

いのちのねうちが じぶんじしんでわかっているひとは しゅうきょうにおかねをつかわなくてすみます

 

でも そうでないひとがたくさんいます

 

おおきなしゅうきょうは おかねもちです

おかねがざぶざぶとあつまってくるのです

 

ぜんなんぜんにょの じょうざい です

 

*

 

こどものがくひも すいあげられます

 

しょう、ちゅうがっこうは むしょうですが じゅくや ならいごとがあります

 

いま しょうがくきんが さらきんなみ とひはんされています

 

こうこう だいがくで すうひゃくまんえん あるいはいっせんまんえんをこえる おかねがかかるでしょう

 

せんにんは ちゅうそつで すごくせいこうしたひとを なんにんかしっています

せいこうとは ふつうのせけんてきないみで おかねをたくさんかせぐようなことです

ただ どくじのやりかたをします

 

まえにかいた じこけっていのぷろせす

 

1 かのうせいをみつけだす

 

2 かのうせいの りすとをととのえる

 

3 かのうせい から じこけっていし じっこうする

 

4 じっこうした けっかをじぶんでひょうかし ひきうける

 

5 4をぜんていに またかのうせいをみつけだす

 

これをくりかえすことで、どくとくのみちをあゆみはじめるひとがいるのです

 

もちろん そういう つよいいきかたができるひとばかりでは ありません

 

でも ちゅうそつではたらいて すむところや ごはんはしばらくおやのいえですませる

そうすれば おかねがたまります

おやも がくひがうきますから ためたおかねと おやのえんじょで だいがくをそつぎょうするころには ちいさなしょうばいをはじめることができます

 

これからのよのなか だいがくでたって らくではありません

ほんにんがのぞめば そういうじんせいもいいのではないでしょうか

 

せんにんにも むすめがいますが 10ねんいじょうまえに そういうせんたくしをほのめかしたら おくさんから 「あなたは それでもひとのおやか あいじょうがないのか」と おこられました

 

ひとつのせんたくしをしめしただけですが

かんじょうのきんせんにふれたようです

これはたぶーなのです

 

なにはともあれ のみのさーかすへのさんかのちけっと 

これが よのなかのひとにとってはいちばんだいじなようです

 

したがって みんな がくひは ほかをけずってもはらうのです

 

*

 

あたまがつかれましたね

まだまだわたしたちをすいあげているものは あります

すいあげしすてむは さらにふかいこうぞうをもっていますが じかいにしましょう

 

 

 

 

 

かめよせは いがいと かんたん

ながいげんこうを かくじかんがないので ひさしぶりにかめよせ

 

なんでよってくるのか 

 

ふしぎです

 

ぼくのまねをしたひとも ふたり かめをよせています

 

かめがおおいところでしているので ぼくよりもかめがいっぱいよってきている どうががあります

 

ちょっとかわったひとたちなので ふたりにとくしゅのうりょくがあるのか

だれでもできるのか

 

きょうみぶかいところです

 

もうすこしようすがわかったら そして やってみたいひとがいたら やりかた こうかいします

 

せんにんも かめがたくさんいるところで じっけんしてみたい

 

それから さつえいしてくれるひとがべつにいると もっといいえがとれるでしょう

 

これは せいぶつがくてき せいめいてきに とてもおくゆきのあることがらなのですでも はんのうするひとがすくないので つまりません

あまりもちべーしょんがあがらない

 

「どこどこで おいしいらんち たべたよー」

 

という しゃしんいりのきじのほうがいいかな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とくぎかめよせ ◆ かめがさんびき みぎのほうにもあたまだけでています とくにどうということない えいぞう

ちりもつもれば やまとなる pic.twitter.com/KG2MJSQ0MF

— symbolist (@muramatsukouhei) 2017年7月25日

 

 

ほうかいする さーかすせかい

ぜんかい われわれのしゃかいを

 

とべないのみ のさーかす

 

という ひゆでかたりました

 

このさーかすせかいは まもなくほうかいします

 

ほうかいとはなにかというと ばくはつてきにしゅくしょうするのです

このほうかいこそが せんにんがじんるいきゅうさいをはじめた りゆうなのです

 

いろいろなぎもんがわきますね

 

1 なぜ ほうかいするのか?

2 ほうかいすると どうなるのか?

3 どうすればいいのか

 

1について かきましょう

 

かんたんにいうと ひとがいらなくなるのです

ろうどうりょくが たいりょうにあまってしまうのです

 

それは さんぎょうかくめいいらいの ごうりか と じどうかの れきしのながれです

 

あぃてぃは いんふぉめーしょん・てくのろじー

じょうほうかがく

 

これはかつて おふぃす・おーとめーしょん おーえー とよばれていたのです

 

つまり それがじどうか おーとめーしょんか のながれです

 

たとえば さんぎょうかくめいで こうじょうせいさんがはじまったことで たいりょうのしごとがはっせいしました

 

とてもやすい ろうどうりょくとして おおくのひとが かりだされました

さんぎょうかくめいのはっしょうのち いぎりすではこどもまで かりだされて ちょうじかんろうどうに じゅうじしました

こどもたちは じゅうろうどうでつかれはて おとなになることなく はやじにしたといいいます。

 

それでしごとはふえたようにみえますが それまでのかないせいしゅこうぎょうは すいたいしました

てづくりでものをつくっていた さんぎょうはすいたいし よりおおくのひとがしごとをうしなったはずです

 

でも これはぶんめいやけいざいが ばくはつてきにはったつしたじきでもあったので つくるものはたくさんあったのです

 

せかいには ぶんめいのおんけいがとどきにくい くにや ちいきがたくさんあり それは みらいの みかいたくのしじょうとして のこっていたのです

 

むかしは ぶんめいのおくれたくにを こうしんこくと ろこつによんでいました

わかりやすいので このなまえで よびましょう

せんしんこくの しじょうが ほうわしてしまえば こうしんこくにうりにいけば よかったのです

 

そのあいだに せんしんこくは さいせんたんのものをうみだし せんれんさせ しょうひしていきます

 

でも いま このようなげんりや だいなみずむは かつてのようには そんざいしません

あじあでも あふりかでも きょうさんけんでも あらゆるくにのひとが あいふぉんをもっています

 

あたらしいものは さほどいらないのです

もちろん あいてぃや さんしんぎじゅつのせかいは めざましいもの おどろくべきものを つぎつぎにうみだします

 

でも よりおおきなへんかは ものがみなやすくなり りえきをうまなくなっていることです

 

100えんしょっぷにいくと こんなものまで100えんっ? とめがまるくなることがあります

 

そのかげで ぶんぼうぐやさんや しょっきやさんなどがたくさん はいぎょうしていることでしょう

 

ぶっくおふができたことで ふるほんやさんも かなりへったでしょう

そして しゅっぱんしゃのうりあげもへりました

 

あまぞんのおかげでつぶれたしょてんも たくさんあるでしょう

せんにんのすむまちの ながくつづいていた ほんやもちかくへいてんする というあんないがでていました

 

あまぞんはほんやとしてかたってしまいますが、うっているのは ほんはすでにいちぶですね

あらゆるものをうって あらゆるしょうばいをあっぱくします

 

とにかく おおきなしほんが しゅうやくてきにじょうほうやものをしはいし よい やすい さーびすをつくりだすと ふるいちいさなしょうばいは あっぱくされてすいたいするのです

 

そのようにして しほんのしゅうちゅうが かそくしています

 

しゅうやくてきなしごとというのは ひとでがいらないのが めりっとです

そしておおきなしほんは さいしん さいぜんのしすてむをいれます

ひとでをせつやくするというめんでは もっとも かしこく あいてぃか され こうりつがよいものになります

 

したがって ひとつのぎょうしゅが ひとをやしなう にんずうは げきげんしていくのです

 

じんるいは そういう おおきなじだいのながれのなかにあります

 

そこにきて えーあいが ひとのちせいにおいつけ おいこせと いうじだいがきました

 

ひとにしかできない とおもわれていたしごとを つぎつぎにできるようになりました

 

だっさいというおさけは とうじのけいけんとかん といわれていたさけづくりを こんぴゅーたーでかんりしました

 

しかも それがひとがつくったよりおいしいと だいにんきになってしまったのです

(せんにんは せけんがありがたがるほど だっさいはすきではありません

せんにんにおさけをおくるときには ほかのおいしいさけにしてください

ごりやくがあるでしょう)

 

いご・しょうぎでも めいじんより こんぴゅーたーのほうが つよくなってしまいました

 

そうなると ひとのしごとは さらにげきげんしていきます

 

くるまもとおからず じどううんてんになるでしょう

ちょうきょりとらっくのうんてんしゅのしごとが なくなるだろうとは よくわだいになります

こーすがきまっているからです

 

たくしーは いつもこーすがちがいますから そのあとになるでしょうけれども じかんのもんだいです

 

せんにんもせんじつ うーばーというものをはじめてつかってみました

たくしー はいやーを すまほでよべるのです

いきさきも すまほでいれておきます

かーどをとうろくすれば しはらいのやりともありません

 

じどううんてんさえじつげんできれば そのまま すぐにむじんかできるのです

 

すぐにめにつくれいをあけましたが ほかにもいろいろなものが こんぴゅーたがあればひとはいらなくなるでしょう

 

よのなかの じどうかのながれが えーあいのばくはつてきしんか しんぎゅらりてぃによって げきりゅうかしていくのです

 

いごや しょうぎても こんぴゅーたーが とっぷぷろにかつのは 10ねんかもっとさきだとおもわれていました

 

このけんにかんして わたしたちのよそうよりも はやくじだいは すすむけいこうがあります

 

かりにそれが よそうより すこしばかりおそかったところで じんるいのれきしのなかでは いっしゅんということばもあたらないくらい みじかいさきのみらいなのです

 

ようちえんや しょうがっこうのていがくねんのときに いすとりげーむ をしましたね

 

たくさんならべた いすのまわりを おんがくにあわせてくるくるまわり おんがくがとまったしゅんかんに いすにすわります

 

いすは だんだんにへっていきます

すわれなかったひとは しっかく げーむおーばーになります

 

そのいすが きゅうそくに はんぶんくらいになってしまうじだいが すぐそこにきているのです

 

これが さーかすせかいのほうかいです

 

げーむおーばーになったひとがたくさんでたら どうしましょう

 

そのときに なにがおきるのか

 

それはじかいにしましょう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

きょういくと のみのさーかす

だんだん しびあはなしもでてくるけれども じんるいきゅうさいのためには さけてとおれないのです

 

かのうせいにふたをされている ということは じゆうせいをうしなっていること 

てあしをしばられたり ろうやにいれられたりしているのとおなじ

 

みえない ろうごくにいるようなことなのです

 

これを 「みえるか」すれば あんがいかんたんなところに だっしゅつほうほうがあるかもしれない

 

まず みえないろうごくをみんなでみることからはじまるのです

 

せいかくな みとりず をつくりましょう

 

そうすれば じんせいは だつごくさすぺんす!

 

*

 

 

じんせいのろうごくは そとにあるのではありません

いわば ないぞうされている のです

だから みえないのです

 

さいしょから ないぞうされているのではなくて おさないときにうめこまれるのです

 

このぷろせすを せつめいすると のみのさーかす になります

 

たいへん よくつかいまわされたひゆなので ごぞんじのかたには もうしわけないです

いつもは おりじなるなひゆをかんがえるのですが こんかいはあまりにぴったりなので これでいいです

 

このはなしは 『むしのいろいろ』おざきかずおさんのほんから

 

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のみをつかまえて、小さな丸いガラス玉に入れる。
彼は得意の脚で跳ね回る。
だが、周囲は鉄壁だ。

散々跳ねた末、もしかしたら跳ねるということは間違っていたのじゃないかと思いつく。

試しにまた一つ跳ねてみる。
やっぱりむだだ、彼は諦めておとなしくなる。

すると仕込手である人間が外から彼を脅かす。

本能的に彼は跳ねる。

だめだ、逃げられない。

人間がまた脅かす、跳ねる、むだだというのみの自覚。

この繰り返しで、のみはどんなことがあっても跳躍をせぬようになるという。

そこで初めて芸を習い、舞台に立たされる。

 

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いんようだから かんじがはいりました

よみやすいですね 

 

さて ここから なにをよみとりますか

 

ここで のみは はねるというじぶんのほんせいをひていされるのです

みえないかべにぶつかる という むちでなんどでもうたれることによって とぶことはむだだとおもいこまされてしまう

 

そのたいけんがうめこまれる

ないぞうされるのです

 

そうすると がらすだまからだされても のみははねなくなるのです

 

それが みえないろうごくです

 

これが きょういくの ひとつのそくめんです

 

きょういくは なにかをえる とどうじに なにかをうしなうことかもしれません

 

のみは なにをえますか

さーかすにさんかする しかくです

もしも とぶことをわすれないのみがいれば さーかすにさんかできません

やくたたずと つぶされてしまうかもしれませんね

 

ひとでいえば これは しゃかいせいです

こうとうきょういくをうけることで よけいなかどがとれて かいしゃいんや おやくにんになる しかくをえることができます

 

かどをとられて あつかいやすいじんざいになるのです

 

それで ちかごろの わかいもの しんじんは はきがない こせいがない とか そうぞうせいがない とか いわれるのです

 

そんなつごうのいいのときにだけでてくる つけたりみたいな そうぞうせいはありません

そうぞうせいとは かのうせいをいきることですからね

 

のみをしこむように ひとをしこむべきでしょうか

 

それにさんせいのひともいるでしょう

 

それは さーかすのざちょう けいえいしゃのがわにたっているひとでしょう

 

ひとの わるいところ しゃかいにてきおうできないところを けずりおとし きょうせいする

 

それがきょういくである と かんがえるひとは さーかすのがわに たっているのです

さーかすのなかで ちいやざいさん しゅうにゅうがほしょうされているひとは こちらに さんせいするりゆうがあります

 

はねることを わすれてひさしいのみには はねるのみは めざわりなのです

つぶしてやりたくなるのです

 

じぶんはくろうして はねることなどわすれたのだ

みんな はねることなどわすれて じぶんのあとをついてこい といいたいのです

 

さーかすが うまくうんえいされているときには それはさほどわるいことではないかもしれません

 

しかし さーかすのけいえいがわるくなり とうさんすれば たくさんののみが かいこされます

 

そのときに やせいをうしない とびはねることをわすれたのみは いきていけないのです

 

べるをならしてえさをもってきてくれる ごしゅじんをまっている ぱぶろふのいぬは うえじにしてしまうのです

 

いまは どこまでいってもさーかすのせかい

 

でも そのさーかすのせかいは ごしゅじんさまのつくったげんそうのせかいです

 

そのげんそうのせかいは あまりにおおきく きょうりょくになりすぎました

きょうだいになったものは やがておとろえます

ふくらみすぎたふうせんのように いまにもきょだいなやぶれめが できそうです

 

そのときに はねないのみだけでは あたらしいせかいをいきのびられない

 

のみはとびはねる 

そのほんのうと のうりょくをいかして あたらしいせかいをそうぞうする

そういう ちからがひつようです

 

さーかすもひつようですが さーかすのないぶだけでは のみというしゅぞくはいきていけないのです

さーかすがほうかいした つぎのせかいが よういできない

 

ひとりひとりが とびはねるちからをとりもどす

そこに のみるいのきゅうさいがあります 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

がっこうきょういくは だれのもの?

がっこうきょういくは だれのものでしょう?

 

だれのためにある?

 

こどもたちのため と こたえるひとは どうさつりょくがまずしいひとです

 

がっこうは くにのためにあります

 

だから くにがきびしくかんりしているでしょう

 

それは きょういくのしつをよくするためというよりは くにのほうしんを いつだつさせないためです

 

かいしゃには しゃいんきょういくがありますね

かいしゃのやくにたつ じんざいをそだてるためです

 

たしかにそれが しゃいんほんにんのためになることもあります

ならないこともあります

 

でも だれのためにあるか といったら かいしゃのためです

 

しゃいんのかのうせいをひらくために きょういくするのではありません

 

しゃいんののうりょく ろうどうりょくを こうりつよくおかねにかえるために きょういくするのです

 

ぶらっくきぎょうであれば じえいたいににゅうたいさせたり じごくのとっくんをしたりします

こんじょうと ちゅうせいしん ちょうじかんろうどうにたえる せんのうされた まいんど

 

そういうことをもとめるのであって よけいなことはかんがえないほうがいい

おきゃくをだましておかねをとったりするには かんじゅせいは にぶったほうがいいのです

 

まにゅあるのとおりに はたらけばいい

 

まにゅあるどおりにする しごとは たぶん はんばーがーのまくどなるどくらいから にほんにはいってきました

あれははたらくひとは なにもかんがえなくていい のです

むしろ かんがえさせない

なにもかんがえない

なにもかんじない

でもえがおは 0えん

 

まにゅにあるどおりにうごくための きょういくがあります

 

せっきゃくはいっしゅるい

だから てんいんはせっきゃくがうまくなることは ほとんどありません

おおきくしっぱいすることもありません

なめらかにしすてむがうごきます

 

おきゃくも なめらかにしすてむにしたがいます

 

このように きょういくは きょういくをするしゅたいが じぶんのつごうによってするのです

 

ですから くにがきょにんかけんを かんぜんににぎっている がっこうきょういくは くにのつごうのいいにんげんをつくるためにおこなわれていると かんがえてよいのです

 

さらに どうさつりょくがまずしいひとはいうでしょう

 

くに というのは つまり われわれじしん ではないか? と

 

そういうひとは かいしゃも われわれじしん だとかんがえるでしょう

 

しゃちょうはおくまんちょうじゃで ごうていにすみます

なんねんもつとめたしゃいんのてどりが 15まんえんです

 

かいしゃはわれわれじしんでしょうか

ひらしゃいんは いつかしゃちょうになりますか

なりません

 

くににも おなじことがいえます

 

くにのけんりょくは こていしています

 

ぎいんのおおくは せしゅうです

 

せいじのしくみは たとえばこうなっているとそうぞうされます

 

がいこくに100おくえんのぜいきんをきふします

きふのときのやくそくにしたがって そのうちの10おくえんが にほんのきぎょうにかえってきます

そのりえきのうち1おくえんが せいふよとうに きふされます

 

そうすると 100おくえんのぜいきんが1おくえんの せいじかのおかねになります

 

1ぱーせんと。

このみかえりりつは ひくいかもしれません

3ぱーせんと 5ぱーせんと とかえってくれば もっといいしかけです

そもそもがきょがくですから ひくいぱーせんてーじでもきょがくになります

もともとはぜいきんですから ゆみずのようにつかって じぶんのかねにかえればいいのです

 

こうしたおかねで しふくをこやしながら そのおかねでじぶんのせいりょくをふやしていくのが にほんでは ほしゅの やりてのせいじか です

 

このような おかねのながれ しすてむがせしゅうされるのです

 

うおごころ あれば みずごころ

 

ひょうや おかねをもっている きぎょうや しゅうきょうだんたいとの みえないきずながつよくなります

 

それは いちだいではとてもできないのです

せしゅうによって つーといえば かーになるのです

 

あうんのこきゅう

 

おやくにん かんりょうもそうです

どんなにあたまがよくて ゆうしゅうで ふんこつさいしん はたらいても いちだいでは じゅうようなぽすとには つけないと あるおやくにんから ききました

 

おやのだいからのこね じんみゃくがひつようなのです

 

ですから けっこんあいても そのようなちいにぷらすになる あいてをさがさなければいけません

 

これがいわゆる けいばつ こんいんによる はばつのけいせいです

 

けんりょくのざ というものは このようにくろうしてけいせいするものですから ぜったいにてばなせません

 

じぶんのけんりょくをさらにかくだいし らいばる したからくるものは けおとします

 

じぶんにちゅうせいをちかうものは こきつかってためします

じぶんのちいをあげたいものは うえのものには こびへつらわなければなりません

りふじんなしうちにもたえて じぶんがいばるばめん がくるのをまちます

 

せんきょのときも ひょうをとりまとめてくれるだんたいとのつながりがあります

きぎょう しゅうきょうだんたい だらくした ろうどうくみあい

 

おたがいに あまいしるをすいあうのです

 

こういう めにみえないしすてむが ゆっくりとけいせいされてきたのです

 

ですから そしきひょうに こじんのひょうは ほとんどかないません

こじんひょうは きけんするひともおおいし じぶんは なんのあまいしるもすえるわけではないのに かんちがいして ほしゅとうに とうひょうするひともいるからです

 

せんにんのせいじてきなたちばは けんりょくは こていしすぎないほうがいい ということです

けんりょくがこていすると りけんもこていして しゃかいのはってんのかのうせいがすくなくなります

それがこじんのかのうせいのはってんも じゃまします

 

せんにんは かのうせいをひらくことで じんるいをすくいます

 

あたまがつかれましたね

 

まとめましょう

 

1 きょういくは くにのためにある

 

2 かいしゃがわれわれじしんではないように くには われわれじしんではない

 

ふたつもたいせつなことをまなびました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あめと むち のせかい

ぜんかい しゅくだいをだしました

 

「がっこうのどこに かのうせいと じこけっていのさいくるがあるか さがしてみましょう」 

 

せいかいは ありません

せんにんは せんせいのように せいかいをにぎっていません

 

なーんだと がっかりしたひともいますか?

そういうひとは がっこうきょういくの ぱたーんにはまっているのです

 

がっこうに じこけっていのさいくるを みつけだしたひとは それをたいせつにしてください

そして そのさいくるを さらにはってんさせるにはどうしたらいいか かんがえてください

 

みつけだせなかったひとは それはこどもたちにとって むずかしいかんきょうである ということをかんがえつづけてください

 

かんがえのさいくるは そのようにすすんでいきます

おわりがないのです

 

こどもが つみきや すなで むちゅうになって おしろをつくっています

いつまでも つくりおわることがありません

どんどん かいぞうしていきます

 

あるいはできかけたのをこわして またつくりはじめます

 

つかれをしりません

 

というか えねるぎーがきれたとたんに ばたんとねて おきたとたんにはじまります

 

いつもなにかにむちゅう

 

それが あそびのぱわーです

 

よのなかには ちゅうそつでせいこうしているひとが けっこうたくさんいます

 

それは このぱわーをうしなわなかったひとです

 

ふつうのひとは だいがくにいくころには このぱわーをうしなっています

 

このぱわーのなかに ひとのせいちょうのぷろせすのひみつが みんなつまっています

 

 

あそびのぱわーにたいして どりょくはどうでしょう?

よのなかのだいぶぶんのひとは あそびはわるいこと どりょくはよいこと とおもいこんでいますね

 

がっこうでは どりょくしなさい とおそわります

がっこうでは じぶんのかんがえが まるかばつか せんせいがひょうかしてくれます

 

どりょくして ひょうかされる

どりょくして ひょうかされる

どりょくして ひょうかされる

 

これは ぱぶろふのいぬです

 

ここには せいとが じこひょうかする さいくるはありません

あそんでいるこどもは おしろがきにいらないとぶっこわしますが がっこうでは れそはせんせいが ひょうかします

 

きのう たいせつなことをかきわすれていました。

 

きのうは かのうせいと じこけっていのぶろせす をいかのようにかきました

 

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1 かのうせいをみつけだす

 

2 かのうせいの りすとをととのえる

 

3 かのうせい から じこけっていし じっこうする

 

4 じっこうした けっかをひきうける

 

→ こうどうしたけっかのせかいから ふたたび かのうせいを みつけだす(くりかえす)

 

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この4のところに じこひょうかする というのがはいるのです

 

4 じっこうした けっかをじこひょうかする (ひきうける)

 

という ひょうげんがいいかもしれません

 

じぶんでしたことを じぶんでひょうかして つぎのくふうにむすびつける

そこにしんぽがあります

しこうさくごがあります

 

それは せんせいがばつにしたもんだいのまちがいを ふくしゅうするのとは おおいにちがうのです

 

がっこうでは じぶんのしたことを いつもせんせいがひょうかします

 

どりょくして ひょうかされる

どりょくして ひょうかされる

どりょくして ひょうかされる

 

たかいてんをとると ほめられる

ひくいてんをとると しかられる せめられる

 

あめと むち

あめと むち

あめと むち

 

このぱぶろふのいぬは どうなっていきますか?

 

ひょうかされるために どりょくするようになるのです

 

てすとのかんにんぐ がありますね

 

かんにんぐでとったてんは ほんにんのちからでは ありません

じつりょくではなく ひょうかだけ ほしいのです

 

てすとまえ いちやづけのべんきょう がありますね

それは ちしきをふやしたり かんがえるちからをあげることではありません

 

とりあえず めのまえのてすとのてんを あげたいのです

 

このような てすとのけっか つうしんぼのせいせきは しんがくや しゅうしょくとひもづけられています

 

みらいという げんそうのなかでも 

へんさちのたかい だいがくをでれば あんらくで かねもちで よいせいかつ

へんさちのひくい だいがくをでれば だいぶおとるせいかつ

と むすびつけられるのです

 

ここでも

 

あめと むち

あめと むち

あめと むち

 

くりかえされる あめと むち

 

このような ぱぶろふのいぬのわなに ふりょうや おちこぼれたちは ほんのうてきに きづいているのではないでしょうか

 

でも かれらには ふかいどうさつりょくや ひょうげんりょくが まだない

そして ばらばらに こりつしているから わなをやぶれないのです

 

このぱぶろふのいぬは そのあと どうなっていきますか?

 

ひょうかされるために どりょくするようになったのです

 

たにんのひょうかをえることが もくてきになったのです

 

じぶんで もくひょうをたてられなくなります

 

じぶんで じぶんのしたことをひょうかできなくなります

たにんのひょうかを いつもまつようになります

 

じぶんではんだんをできなくなります

 

じぶんではんだんをしているようにみえても じぶんのなかにいるたにんのひょうかをまねているのです

じぶんでもくひょうをたてているようにみえても まわりのひとがよろこんでうけいれてくれそうなことを むいしきにもくひょうにするのです

 

そういうことから はぐれてしまうと じぶんがなにをしたらいいか わかりません

 

なにをしたらたのしいか じぶんがなにをかんじているのか もわからなくなります

 

むちゅうになって つみきのおしろをつくっていたこどもはいなくなりました

 

きょろきょろと まわりをみまわして せんせいや おやがなにをのぞんでいるか さぐる こどもがいます

 

それがわからないと まわりのひとのふるまいをみて まねをして めだたないように ふるまうこどもになります

 

ですから ぱぶろふのいぬになったこどもは だれかが あめとむちでみちびいてくれるのを まっています

 

いつまでも まっています

 

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きじをかいているとき こんなのみつけました

 

togetter.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

くるった きょういく 2

きのう このようなこどもたちについて かきました

 

「じぶんでなにかをきめて そのけっかをひきうけたことがないからです

おやがきめたとおりのことしかしていないから じこけっていというばめんにいちどもであっていないのです」

 

じこけってい いいことばです

 

かのうせい と じこけっていは おとこ と おんな でこ とぼこ のように ついになっています

 

かのうせいがあっても じこけっていがなければ そこには なにもうまれません

じこけっていのうりょくがなければ かのうせいも きえてしまうのです

 

かのうせいと じこけっていのぷろせすは つぎの4つになります

1 かのうせいをみつけだす

 

2 かのうせいの りすとをととのえる

 

3 かのうせい から じこけっていし じっこうする

 

4 じっこうした けっかをひきうける

 

→ こうどうしたけっかのせかいから ふたたび かのうせいを みつけだす(くりかえす)

 

これが かのうせいと じこけっていにかんする おさかなでいったら あたまからしっぽまでです

 

このさいくるをくりかえしながら たましいは たくましくなっていきます

 

いまの がっこうきょういくは このあたまからしっぽまでがありません

 

まず かのうせいがさいしょから ありません

 

がっこうにいかない という せんたくしがありません

 

おやも せけんも がっこうも「がっこうにはいくものだ」ときめています

 

こどもも そういうものか とおもいます

 

いくかいかないか えらべません

 

がっこうえらべません

 

せんせいえらべません

 

じゅぎょうもえらべません

 

じゅぎょうでは しこうさくごはありません

 

じぶんでためすことがありません

 

せんせいがしろ といったことをします

 

せんせいがおぼえろ といったことをおぼえます

 

なにがただしいか すでにきまったせかいで だれかがきめたちしきを あたまにつめこみます

 

いわれたとおりのけつろんにならないと ばつがつきます

 

ばつがたくさんつくと てすとのせいせきがわるくなります

 

おやも せんせいもせけんも てすとのせいせきでこどもに よいわるいをいいます

 

まるはよく ばつはわるい

 

てんすうがたかいのはよく ひくいのはわるい

 

おやや せんせいは ぱぶろふのいぬのように そのようにひょうかします

 

すると こどもも ぱぶろふのいぬのように じぶんのよい わるいをいんぷっとします

このようなぱぶろふのいぬが やがて ぱぱになり ままになり ぱぶろふのいぬが せけんというかべになります

 

ぱぶろふのいぬには かのうせいがありません

べるがなると よだれがでます

 

これががっこうでおきていることです

 

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しゅくだい

がっこうのどこに かのうせいと じこけっていのさいくるがあるか さがしてみましょう 

 

かんがえることは かのうせいをさがすことです

そして かんがえたけっかをひとにつたえるように げんごかすることは じこけっているすることです

 

かんがえましょう