ひらがなせんにんの じんるいきゅうさいけいかく

ひみつのけいかくにさんかしよう! 

きょういくと のみのさーかす

だんだん しびあはなしもでてくるけれども じんるいきゅうさいのためには さけてとおれないのです

 

かのうせいにふたをされている ということは じゆうせいをうしなっていること 

てあしをしばられたり ろうやにいれられたりしているのとおなじ

 

みえない ろうごくにいるようなことなのです

 

これを 「みえるか」すれば あんがいかんたんなところに だっしゅつほうほうがあるかもしれない

 

まず みえないろうごくをみんなでみることからはじまるのです

 

せいかくな みとりず をつくりましょう

 

そうすれば じんせいは だつごくさすぺんす!

 

*

 

 

じんせいのろうごくは そとにあるのではありません

いわば ないぞうされている のです

だから みえないのです

 

さいしょから ないぞうされているのではなくて おさないときにうめこまれるのです

 

このぷろせすを せつめいすると のみのさーかす になります

 

たいへん よくつかいまわされたひゆなので ごぞんじのかたには もうしわけないです

いつもは おりじなるなひゆをかんがえるのですが こんかいはあまりにぴったりなので これでいいです

 

このはなしは 『むしのいろいろ』おざきかずおさんのほんから

 

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のみをつかまえて、小さな丸いガラス玉に入れる。
彼は得意の脚で跳ね回る。
だが、周囲は鉄壁だ。

散々跳ねた末、もしかしたら跳ねるということは間違っていたのじゃないかと思いつく。

試しにまた一つ跳ねてみる。
やっぱりむだだ、彼は諦めておとなしくなる。

すると仕込手である人間が外から彼を脅かす。

本能的に彼は跳ねる。

だめだ、逃げられない。

人間がまた脅かす、跳ねる、むだだというのみの自覚。

この繰り返しで、のみはどんなことがあっても跳躍をせぬようになるという。

そこで初めて芸を習い、舞台に立たされる。

 

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いんようだから かんじがはいりました

よみやすいですね 

 

さて ここから なにをよみとりますか

 

ここで のみは はねるというじぶんのほんせいをひていされるのです

みえないかべにぶつかる という むちでなんどでもうたれることによって とぶことはむだだとおもいこまされてしまう

 

そのたいけんがうめこまれる

ないぞうされるのです

 

そうすると がらすだまからだされても のみははねなくなるのです

 

それが みえないろうごくです

 

これが きょういくの ひとつのそくめんです

 

きょういくは なにかをえる とどうじに なにかをうしなうことかもしれません

 

のみは なにをえますか

さーかすにさんかする しかくです

もしも とぶことをわすれないのみがいれば さーかすにさんかできません

やくたたずと つぶされてしまうかもしれませんね

 

ひとでいえば これは しゃかいせいです

こうとうきょういくをうけることで よけいなかどがとれて かいしゃいんや おやくにんになる しかくをえることができます

 

かどをとられて あつかいやすいじんざいになるのです

 

それで ちかごろの わかいもの しんじんは はきがない こせいがない とか そうぞうせいがない とか いわれるのです

 

そんなつごうのいいのときにだけでてくる つけたりみたいな そうぞうせいはありません

そうぞうせいとは かのうせいをいきることですからね

 

のみをしこむように ひとをしこむべきでしょうか

 

それにさんせいのひともいるでしょう

 

それは さーかすのざちょう けいえいしゃのがわにたっているひとでしょう

 

ひとの わるいところ しゃかいにてきおうできないところを けずりおとし きょうせいする

 

それがきょういくである と かんがえるひとは さーかすのがわに たっているのです

さーかすのなかで ちいやざいさん しゅうにゅうがほしょうされているひとは こちらに さんせいするりゆうがあります

 

はねることを わすれてひさしいのみには はねるのみは めざわりなのです

つぶしてやりたくなるのです

 

じぶんはくろうして はねることなどわすれたのだ

みんな はねることなどわすれて じぶんのあとをついてこい といいたいのです

 

さーかすが うまくうんえいされているときには それはさほどわるいことではないかもしれません

 

しかし さーかすのけいえいがわるくなり とうさんすれば たくさんののみが かいこされます

 

そのときに やせいをうしない とびはねることをわすれたのみは いきていけないのです

 

べるをならしてえさをもってきてくれる ごしゅじんをまっている ぱぶろふのいぬは うえじにしてしまうのです

 

いまは どこまでいってもさーかすのせかい

 

でも そのさーかすのせかいは ごしゅじんさまのつくったげんそうのせかいです

 

そのげんそうのせかいは あまりにおおきく きょうりょくになりすぎました

きょうだいになったものは やがておとろえます

ふくらみすぎたふうせんのように いまにもきょだいなやぶれめが できそうです

 

そのときに はねないのみだけでは あたらしいせかいをいきのびられない

 

のみはとびはねる 

そのほんのうと のうりょくをいかして あたらしいせかいをそうぞうする

そういう ちからがひつようです

 

さーかすもひつようですが さーかすのないぶだけでは のみというしゅぞくはいきていけないのです

さーかすがほうかいした つぎのせかいが よういできない

 

ひとりひとりが とびはねるちからをとりもどす

そこに のみるいのきゅうさいがあります 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

がっこうきょういくは だれのもの?

がっこうきょういくは だれのものでしょう?

 

だれのためにある?

 

こどもたちのため と こたえるひとは どうさつりょくがまずしいひとです

 

がっこうは くにのためにあります

 

だから くにがきびしくかんりしているでしょう

 

それは きょういくのしつをよくするためというよりは くにのほうしんを いつだつさせないためです

 

かいしゃには しゃいんきょういくがありますね

かいしゃのやくにたつ じんざいをそだてるためです

 

たしかにそれが しゃいんほんにんのためになることもあります

ならないこともあります

 

でも だれのためにあるか といったら かいしゃのためです

 

しゃいんのかのうせいをひらくために きょういくするのではありません

 

しゃいんののうりょく ろうどうりょくを こうりつよくおかねにかえるために きょういくするのです

 

ぶらっくきぎょうであれば じえいたいににゅうたいさせたり じごくのとっくんをしたりします

こんじょうと ちゅうせいしん ちょうじかんろうどうにたえる せんのうされた まいんど

 

そういうことをもとめるのであって よけいなことはかんがえないほうがいい

おきゃくをだましておかねをとったりするには かんじゅせいは にぶったほうがいいのです

 

まにゅあるのとおりに はたらけばいい

 

まにゅあるどおりにする しごとは たぶん はんばーがーのまくどなるどくらいから にほんにはいってきました

あれははたらくひとは なにもかんがえなくていい のです

むしろ かんがえさせない

なにもかんがえない

なにもかんじない

でもえがおは 0えん

 

まにゅにあるどおりにうごくための きょういくがあります

 

せっきゃくはいっしゅるい

だから てんいんはせっきゃくがうまくなることは ほとんどありません

おおきくしっぱいすることもありません

なめらかにしすてむがうごきます

 

おきゃくも なめらかにしすてむにしたがいます

 

このように きょういくは きょういくをするしゅたいが じぶんのつごうによってするのです

 

ですから くにがきょにんかけんを かんぜんににぎっている がっこうきょういくは くにのつごうのいいにんげんをつくるためにおこなわれていると かんがえてよいのです

 

さらに どうさつりょくがまずしいひとはいうでしょう

 

くに というのは つまり われわれじしん ではないか? と

 

そういうひとは かいしゃも われわれじしん だとかんがえるでしょう

 

しゃちょうはおくまんちょうじゃで ごうていにすみます

なんねんもつとめたしゃいんのてどりが 15まんえんです

 

かいしゃはわれわれじしんでしょうか

ひらしゃいんは いつかしゃちょうになりますか

なりません

 

くににも おなじことがいえます

 

くにのけんりょくは こていしています

 

ぎいんのおおくは せしゅうです

 

せいじのしくみは たとえばこうなっているとそうぞうされます

 

がいこくに100おくえんのぜいきんをきふします

きふのときのやくそくにしたがって そのうちの10おくえんが にほんのきぎょうにかえってきます

そのりえきのうち1おくえんが せいふよとうに きふされます

 

そうすると 100おくえんのぜいきんが1おくえんの せいじかのおかねになります

 

1ぱーせんと。

このみかえりりつは ひくいかもしれません

3ぱーせんと 5ぱーせんと とかえってくれば もっといいしかけです

そもそもがきょがくですから ひくいぱーせんてーじでもきょがくになります

もともとはぜいきんですから ゆみずのようにつかって じぶんのかねにかえればいいのです

 

こうしたおかねで しふくをこやしながら そのおかねでじぶんのせいりょくをふやしていくのが にほんでは ほしゅの やりてのせいじか です

 

このような おかねのながれ しすてむがせしゅうされるのです

 

うおごころ あれば みずごころ

 

ひょうや おかねをもっている きぎょうや しゅうきょうだんたいとの みえないきずながつよくなります

 

それは いちだいではとてもできないのです

せしゅうによって つーといえば かーになるのです

 

あうんのこきゅう

 

おやくにん かんりょうもそうです

どんなにあたまがよくて ゆうしゅうで ふんこつさいしん はたらいても いちだいでは じゅうようなぽすとには つけないと あるおやくにんから ききました

 

おやのだいからのこね じんみゃくがひつようなのです

 

ですから けっこんあいても そのようなちいにぷらすになる あいてをさがさなければいけません

 

これがいわゆる けいばつ こんいんによる はばつのけいせいです

 

けんりょくのざ というものは このようにくろうしてけいせいするものですから ぜったいにてばなせません

 

じぶんのけんりょくをさらにかくだいし らいばる したからくるものは けおとします

 

じぶんにちゅうせいをちかうものは こきつかってためします

じぶんのちいをあげたいものは うえのものには こびへつらわなければなりません

りふじんなしうちにもたえて じぶんがいばるばめん がくるのをまちます

 

せんきょのときも ひょうをとりまとめてくれるだんたいとのつながりがあります

きぎょう しゅうきょうだんたい だらくした ろうどうくみあい

 

おたがいに あまいしるをすいあうのです

 

こういう めにみえないしすてむが ゆっくりとけいせいされてきたのです

 

ですから そしきひょうに こじんのひょうは ほとんどかないません

こじんひょうは きけんするひともおおいし じぶんは なんのあまいしるもすえるわけではないのに かんちがいして ほしゅとうに とうひょうするひともいるからです

 

せんにんのせいじてきなたちばは けんりょくは こていしすぎないほうがいい ということです

けんりょくがこていすると りけんもこていして しゃかいのはってんのかのうせいがすくなくなります

それがこじんのかのうせいのはってんも じゃまします

 

せんにんは かのうせいをひらくことで じんるいをすくいます

 

あたまがつかれましたね

 

まとめましょう

 

1 きょういくは くにのためにある

 

2 かいしゃがわれわれじしんではないように くには われわれじしんではない

 

ふたつもたいせつなことをまなびました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あめと むち のせかい

ぜんかい しゅくだいをだしました

 

「がっこうのどこに かのうせいと じこけっていのさいくるがあるか さがしてみましょう」 

 

せいかいは ありません

せんにんは せんせいのように せいかいをにぎっていません

 

なーんだと がっかりしたひともいますか?

そういうひとは がっこうきょういくの ぱたーんにはまっているのです

 

がっこうに じこけっていのさいくるを みつけだしたひとは それをたいせつにしてください

そして そのさいくるを さらにはってんさせるにはどうしたらいいか かんがえてください

 

みつけだせなかったひとは それはこどもたちにとって むずかしいかんきょうである ということをかんがえつづけてください

 

かんがえのさいくるは そのようにすすんでいきます

おわりがないのです

 

こどもが つみきや すなで むちゅうになって おしろをつくっています

いつまでも つくりおわることがありません

どんどん かいぞうしていきます

 

あるいはできかけたのをこわして またつくりはじめます

 

つかれをしりません

 

というか えねるぎーがきれたとたんに ばたんとねて おきたとたんにはじまります

 

いつもなにかにむちゅう

 

それが あそびのぱわーです

 

よのなかには ちゅうそつでせいこうしているひとが けっこうたくさんいます

 

それは このぱわーをうしなわなかったひとです

 

ふつうのひとは だいがくにいくころには このぱわーをうしなっています

 

このぱわーのなかに ひとのせいちょうのぷろせすのひみつが みんなつまっています

 

 

あそびのぱわーにたいして どりょくはどうでしょう?

よのなかのだいぶぶんのひとは あそびはわるいこと どりょくはよいこと とおもいこんでいますね

 

がっこうでは どりょくしなさい とおそわります

がっこうでは じぶんのかんがえが まるかばつか せんせいがひょうかしてくれます

 

どりょくして ひょうかされる

どりょくして ひょうかされる

どりょくして ひょうかされる

 

これは ぱぶろふのいぬです

 

ここには せいとが じこひょうかする さいくるはありません

あそんでいるこどもは おしろがきにいらないとぶっこわしますが がっこうでは れそはせんせいが ひょうかします

 

きのう たいせつなことをかきわすれていました。

 

きのうは かのうせいと じこけっていのぶろせす をいかのようにかきました

 

**

1 かのうせいをみつけだす

 

2 かのうせいの りすとをととのえる

 

3 かのうせい から じこけっていし じっこうする

 

4 じっこうした けっかをひきうける

 

→ こうどうしたけっかのせかいから ふたたび かのうせいを みつけだす(くりかえす)

 

**

 

この4のところに じこひょうかする というのがはいるのです

 

4 じっこうした けっかをじこひょうかする (ひきうける)

 

という ひょうげんがいいかもしれません

 

じぶんでしたことを じぶんでひょうかして つぎのくふうにむすびつける

そこにしんぽがあります

しこうさくごがあります

 

それは せんせいがばつにしたもんだいのまちがいを ふくしゅうするのとは おおいにちがうのです

 

がっこうでは じぶんのしたことを いつもせんせいがひょうかします

 

どりょくして ひょうかされる

どりょくして ひょうかされる

どりょくして ひょうかされる

 

たかいてんをとると ほめられる

ひくいてんをとると しかられる せめられる

 

あめと むち

あめと むち

あめと むち

 

このぱぶろふのいぬは どうなっていきますか?

 

ひょうかされるために どりょくするようになるのです

 

てすとのかんにんぐ がありますね

 

かんにんぐでとったてんは ほんにんのちからでは ありません

じつりょくではなく ひょうかだけ ほしいのです

 

てすとまえ いちやづけのべんきょう がありますね

それは ちしきをふやしたり かんがえるちからをあげることではありません

 

とりあえず めのまえのてすとのてんを あげたいのです

 

このような てすとのけっか つうしんぼのせいせきは しんがくや しゅうしょくとひもづけられています

 

みらいという げんそうのなかでも 

へんさちのたかい だいがくをでれば あんらくで かねもちで よいせいかつ

へんさちのひくい だいがくをでれば だいぶおとるせいかつ

と むすびつけられるのです

 

ここでも

 

あめと むち

あめと むち

あめと むち

 

くりかえされる あめと むち

 

このような ぱぶろふのいぬのわなに ふりょうや おちこぼれたちは ほんのうてきに きづいているのではないでしょうか

 

でも かれらには ふかいどうさつりょくや ひょうげんりょくが まだない

そして ばらばらに こりつしているから わなをやぶれないのです

 

このぱぶろふのいぬは そのあと どうなっていきますか?

 

ひょうかされるために どりょくするようになったのです

 

たにんのひょうかをえることが もくてきになったのです

 

じぶんで もくひょうをたてられなくなります

 

じぶんで じぶんのしたことをひょうかできなくなります

たにんのひょうかを いつもまつようになります

 

じぶんではんだんをできなくなります

 

じぶんではんだんをしているようにみえても じぶんのなかにいるたにんのひょうかをまねているのです

じぶんでもくひょうをたてているようにみえても まわりのひとがよろこんでうけいれてくれそうなことを むいしきにもくひょうにするのです

 

そういうことから はぐれてしまうと じぶんがなにをしたらいいか わかりません

 

なにをしたらたのしいか じぶんがなにをかんじているのか もわからなくなります

 

むちゅうになって つみきのおしろをつくっていたこどもはいなくなりました

 

きょろきょろと まわりをみまわして せんせいや おやがなにをのぞんでいるか さぐる こどもがいます

 

それがわからないと まわりのひとのふるまいをみて まねをして めだたないように ふるまうこどもになります

 

ですから ぱぶろふのいぬになったこどもは だれかが あめとむちでみちびいてくれるのを まっています

 

いつまでも まっています

 

*

 

きじをかいているとき こんなのみつけました

 

togetter.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

くるった きょういく 2

きのう このようなこどもたちについて かきました

 

「じぶんでなにかをきめて そのけっかをひきうけたことがないからです

おやがきめたとおりのことしかしていないから じこけっていというばめんにいちどもであっていないのです」

 

じこけってい いいことばです

 

かのうせい と じこけっていは おとこ と おんな でこ とぼこ のように ついになっています

 

かのうせいがあっても じこけっていがなければ そこには なにもうまれません

じこけっていのうりょくがなければ かのうせいも きえてしまうのです

 

かのうせいと じこけっていのぷろせすは つぎの4つになります

1 かのうせいをみつけだす

 

2 かのうせいの りすとをととのえる

 

3 かのうせい から じこけっていし じっこうする

 

4 じっこうした けっかをひきうける

 

→ こうどうしたけっかのせかいから ふたたび かのうせいを みつけだす(くりかえす)

 

これが かのうせいと じこけっていにかんする おさかなでいったら あたまからしっぽまでです

 

このさいくるをくりかえしながら たましいは たくましくなっていきます

 

いまの がっこうきょういくは このあたまからしっぽまでがありません

 

まず かのうせいがさいしょから ありません

 

がっこうにいかない という せんたくしがありません

 

おやも せけんも がっこうも「がっこうにはいくものだ」ときめています

 

こどもも そういうものか とおもいます

 

いくかいかないか えらべません

 

がっこうえらべません

 

せんせいえらべません

 

じゅぎょうもえらべません

 

じゅぎょうでは しこうさくごはありません

 

じぶんでためすことがありません

 

せんせいがしろ といったことをします

 

せんせいがおぼえろ といったことをおぼえます

 

なにがただしいか すでにきまったせかいで だれかがきめたちしきを あたまにつめこみます

 

いわれたとおりのけつろんにならないと ばつがつきます

 

ばつがたくさんつくと てすとのせいせきがわるくなります

 

おやも せんせいもせけんも てすとのせいせきでこどもに よいわるいをいいます

 

まるはよく ばつはわるい

 

てんすうがたかいのはよく ひくいのはわるい

 

おやや せんせいは ぱぶろふのいぬのように そのようにひょうかします

 

すると こどもも ぱぶろふのいぬのように じぶんのよい わるいをいんぷっとします

このようなぱぶろふのいぬが やがて ぱぱになり ままになり ぱぶろふのいぬが せけんというかべになります

 

ぱぶろふのいぬには かのうせいがありません

べるがなると よだれがでます

 

これががっこうでおきていることです

 

*

しゅくだい

がっこうのどこに かのうせいと じこけっていのさいくるがあるか さがしてみましょう 

 

かんがえることは かのうせいをさがすことです

そして かんがえたけっかをひとにつたえるように げんごかすることは じこけっているすることです

 

かんがえましょう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

くるった きょういく

きょういくを かのうせいのしてん から みてみましょう

 

あるたんじゅんなしてんから ものごとを いんすうぶんかい する

 

これは てつがくのしごとです

 

そうすると そこに きょうざつぶつ ふじゅんぶつ つまり よくないまじりものがはいっていることがわかるのです

 

*

 

いまのがっこうきょういくは こどものかのうせいをかいはつするものでしょうか?

それともげんていするものでしょうか?

 

これをかんがえるには いちばんさいしょに つぎのようにかんがえるのです

 

こどものたましいは たね である

あかいはなながさくか しろいはながさくかは さいしょからきまっている

 

しろいはながさく たねに あかいみずをやっても あかいはなはさきません

 

それは いろいろなひとたちの おやこかんけいを かんさつしていれば たしかめられることです

 

こどもは おやのきたいどおり おもいどおりにはなりません

むしろ それからのがれて ずれること ほんらいしぜんのじぶんじしんになる ちゃんすをいつもさがしています

 

あるこどもたちは おやのきたいにこたえて ゆうとうせい いいこちゃんをしていて こうこうせい だいがくせいになります

つかれはてて ぐれたり うつになったひきこもったり かていないぼうりょくをふるったり そういうけーすはたくさんあるでしょう

あなたが せけんをあれこれみていれば そういうけーすを かならずしっているはず

 

おやのあつりょくがあまりにつよいと そうなります

おやのきたいにこたえて べんきょうやぴあのなど あるのうりょくはたかまっても じぶんじしんはそだたないのです

 

ちょっとずつ なまけたり はんこうしたり おやをあきらめさせるあくしょんをおこせばいいのですが それができないこどもがいます

それをゆるさないおやがいます 

 

そういうこどものこころは みはったつで せいねんきになっても ようじのときのままにとどまっています

じぶんでなにかをきめて そのけっかをひきうけたことがないからです

おやがきめたとおりのことしかしていないから じこけっていというばめんにいちどもであっていないのです

 

ですから もうこれいじょう おやのしいたれーるをはしれない だめだ! とぜつぼうしたときも では こうしよう とかんがえ じっこうすることができません

 

そうなったときに いちばん あらわしやすいけいたいが ひきこもりや ぼうりょくなのです

それはようちなせいしんでもできるからです

 

もうすこし じぶんのせいしんがそだっていると おんがくや しばいなど おやのれーるとちがうせかいに どろっぷあうとします

そこにはなかまがいる

おやとちがう げんりやせかいがあります

わるいなかまとつきあいだす というのも どろっぷあうとのけいたいです

 

たっきゅうの あいちゃんや ぼくしんぐのかめだきょうだいなどは おやがさせたいことと こどものほんらいのせいしつ さいのう したいことがいっちしていた とてもこううんなけーすです

 

れいがいといってもいいです

 

それをみてまねてはいけません

 

せんにんは ひとがみないものをみるのがしごとですから あいちゃんや かめだきょうだいはあまりみません

99,99ぱーせんとのざせつしたこどもたちをみます

 

そのこどもたちは めにはみえませんが ほんとうにたくさんいます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かめは じげんをこえる 

とくぎ かめよせ ● こんかいのはいっぴき きょりもみじかいし じみです でもいっしょうけんめいよってきます えさでよせているのではないこともわかるでしょう pic.twitter.com/ojKnascm29

— symbolist (@muramatsukouhei) 2017年7月14日

 

 

かめよせどうがをあっぷしていますが まだせかいの かめがくしゃからは といあわせがありません

 

いっきに かめのかんかくの かいめいがすすむかもしれませんのに

 

かめは なににかんのうしているのか とてもきょうみがあります

 

*

 

つるはせんねん かめはまんねんといいますね

せんねん というのは ときをこえる ふしぎないきものである ことをしょうちょうしています

 

それから かめといえば うらしまたろう

あれも たろうをりゅうぐうじょうにつれていってくれます

 

いじげんへのじゃんぷ です

そして たまてばこ

あれはときをしはいするはこですね

 

というわけで かめにはどうもちがうせかいへのかいろがある

 

むかしから かめはとてもふしぎなどうぶつとみられていたのです

 

 

つうきんでんしゃの かのうせい

このぶろぐでは じんるいきゅうさいのために おおきなていぎや がいねんのはなしをして それからだんだんにかくろんにおりていこうとおもっています

 

しかし それでは ちゅうしょうてきすぎて しんぼうたまらん というひともいるかもしれません

 

そこでちょっとおもしろいまとめをリンクしてみようとおもいます

 

かのうせいとはなにか とてもみぢかなぐたいせいを かんじられます

 

つうきんでんしゃのこんざつかんわについて でざいんでかいけつする たくさんのあいであが でています

 

せんにんは つりかわのいちをかえたり ぞうせつするのは まことにもっともだとおもいました

 

ささいなことですが それなりにかいてきになりそうです

なにより たいした こすとがかかりません

 

いいあいであを かんがえることは じゅうようでまたたのしいことです

 

それから もっとたいせつなことは いいあいであがでたら それをすぐにためしてみる さいようする じっこうする ということです

 

なんか いまのよのなか いいあいであか どうかではない ようそでうごいています

 

このあいであをさいようしたら あいつのてがらになってしまう とか だれだれのめんつがつぶれてしまう とか

 

そういうことをはいりょするのを にほんではむかしから 「ねまわし」といいます

 

あたらしい はつめい そざい はっそう しすてむが ばくはつてきに でてきています

かのうせいも ばくはつてきにぞうだいしています

 

そういうじだいには ねまわしなどしているじかんはないのです

いいものは ぱっとさいよう じっこうしなくては

 

せかいのながれにおくれてしまいます

 

すたっぷさいぼうの おぼかたさんも もちくちゃにされて けされてしまいました

ほかのくにがとっきょをとったとか ききます

まだ しんそうはわかりませんけれども なにかの「りきがく」がはたらくと ああいうふくろだたきにあいます

 

いいあいであをもっているひとよりも せいじりょくのほうがかつのです

 

せかいのながれにおくれたって せんにんはべつにいいのですが にほんはいつもせかいにおいつけおいこせと きょうそうしているでしょう

 

すごいきょうそうをしながら あしのひっぱりあいをするのは とてもばかばかしいことです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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