ひらがなせんにんの じんるいきゅうさいけいかく

ひみつのけいかくにさんかしよう! 

くるった きょういく

きょういくを かのうせいのしてん から みてみましょう

 

あるたんじゅんなしてんから ものごとを いんすうぶんかい する

 

これは てつがくのしごとです

 

そうすると そこに きょうざつぶつ ふじゅんぶつ つまり よくないまじりものがはいっていることがわかるのです

 

*

 

いまのがっこうきょういくは こどものかのうせいをかいはつするものでしょうか?

それともげんていするものでしょうか?

 

これをかんがえるには いちばんさいしょに つぎのようにかんがえるのです

 

こどものたましいは たね である

あかいはなながさくか しろいはながさくかは さいしょからきまっている

 

しろいはながさく たねに あかいみずをやっても あかいはなはさきません

 

それは いろいろなひとたちの おやこかんけいを かんさつしていれば たしかめられることです

 

こどもは おやのきたいどおり おもいどおりにはなりません

むしろ それからのがれて ずれること ほんらいしぜんのじぶんじしんになる ちゃんすをいつもさがしています

 

あるこどもたちは おやのきたいにこたえて ゆうとうせい いいこちゃんをしていて こうこうせい だいがくせいになります

つかれはてて ぐれたり うつになったひきこもったり かていないぼうりょくをふるったり そういうけーすはたくさんあるでしょう

あなたが せけんをあれこれみていれば そういうけーすを かならずしっているはず

 

おやのあつりょくがあまりにつよいと そうなります

おやのきたいにこたえて べんきょうやぴあのなど あるのうりょくはたかまっても じぶんじしんはそだたないのです

 

ちょっとずつ なまけたり はんこうしたり おやをあきらめさせるあくしょんをおこせばいいのですが それができないこどもがいます

それをゆるさないおやがいます 

 

そういうこどものこころは みはったつで せいねんきになっても ようじのときのままにとどまっています

じぶんでなにかをきめて そのけっかをひきうけたことがないからです

おやがきめたとおりのことしかしていないから じこけっていというばめんにいちどもであっていないのです

 

ですから もうこれいじょう おやのしいたれーるをはしれない だめだ! とぜつぼうしたときも では こうしよう とかんがえ じっこうすることができません

 

そうなったときに いちばん あらわしやすいけいたいが ひきこもりや ぼうりょくなのです

それはようちなせいしんでもできるからです

 

もうすこし じぶんのせいしんがそだっていると おんがくや しばいなど おやのれーるとちがうせかいに どろっぷあうとします

そこにはなかまがいる

おやとちがう げんりやせかいがあります

わるいなかまとつきあいだす というのも どろっぷあうとのけいたいです

 

たっきゅうの あいちゃんや ぼくしんぐのかめだきょうだいなどは おやがさせたいことと こどものほんらいのせいしつ さいのう したいことがいっちしていた とてもこううんなけーすです

 

れいがいといってもいいです

 

それをみてまねてはいけません

 

せんにんは ひとがみないものをみるのがしごとですから あいちゃんや かめだきょうだいはあまりみません

99,99ぱーせんとのざせつしたこどもたちをみます

 

そのこどもたちは めにはみえませんが ほんとうにたくさんいます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かめは じげんをこえる 

とくぎ かめよせ ● こんかいのはいっぴき きょりもみじかいし じみです でもいっしょうけんめいよってきます えさでよせているのではないこともわかるでしょう pic.twitter.com/ojKnascm29

— symbolist (@muramatsukouhei) 2017年7月14日

 

 

かめよせどうがをあっぷしていますが まだせかいの かめがくしゃからは といあわせがありません

 

いっきに かめのかんかくの かいめいがすすむかもしれませんのに

 

かめは なににかんのうしているのか とてもきょうみがあります

 

*

 

つるはせんねん かめはまんねんといいますね

せんねん というのは ときをこえる ふしぎないきものである ことをしょうちょうしています

 

それから かめといえば うらしまたろう

あれも たろうをりゅうぐうじょうにつれていってくれます

 

いじげんへのじゃんぷ です

そして たまてばこ

あれはときをしはいするはこですね

 

というわけで かめにはどうもちがうせかいへのかいろがある

 

むかしから かめはとてもふしぎなどうぶつとみられていたのです

 

 

つうきんでんしゃの かのうせい

このぶろぐでは じんるいきゅうさいのために おおきなていぎや がいねんのはなしをして それからだんだんにかくろんにおりていこうとおもっています

 

しかし それでは ちゅうしょうてきすぎて しんぼうたまらん というひともいるかもしれません

 

そこでちょっとおもしろいまとめをリンクしてみようとおもいます

 

かのうせいとはなにか とてもみぢかなぐたいせいを かんじられます

 

つうきんでんしゃのこんざつかんわについて でざいんでかいけつする たくさんのあいであが でています

 

せんにんは つりかわのいちをかえたり ぞうせつするのは まことにもっともだとおもいました

 

ささいなことですが それなりにかいてきになりそうです

なにより たいした こすとがかかりません

 

いいあいであを かんがえることは じゅうようでまたたのしいことです

 

それから もっとたいせつなことは いいあいであがでたら それをすぐにためしてみる さいようする じっこうする ということです

 

なんか いまのよのなか いいあいであか どうかではない ようそでうごいています

 

このあいであをさいようしたら あいつのてがらになってしまう とか だれだれのめんつがつぶれてしまう とか

 

そういうことをはいりょするのを にほんではむかしから 「ねまわし」といいます

 

あたらしい はつめい そざい はっそう しすてむが ばくはつてきに でてきています

かのうせいも ばくはつてきにぞうだいしています

 

そういうじだいには ねまわしなどしているじかんはないのです

いいものは ぱっとさいよう じっこうしなくては

 

せかいのながれにおくれてしまいます

 

すたっぷさいぼうの おぼかたさんも もちくちゃにされて けされてしまいました

ほかのくにがとっきょをとったとか ききます

まだ しんそうはわかりませんけれども なにかの「りきがく」がはたらくと ああいうふくろだたきにあいます

 

いいあいであをもっているひとよりも せいじりょくのほうがかつのです

 

せかいのながれにおくれたって せんにんはべつにいいのですが にほんはいつもせかいにおいつけおいこせと きょうそうしているでしょう

 

すごいきょうそうをしながら あしのひっぱりあいをするのは とてもばかばかしいことです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

togetter.com

せんそうがはじまる

せんそうが なぜいけないのか?

このことは かのうせいということばで ひもといてみると いちばんよくわかります

 

それは きょくげんまで ひとのかのうせいをうばうからです

 

おおぜいのししゃがでます

せんししゃだけではありません

いっぱんじんも おんな こどももしにます

 

せんそうはいっぱんじんもへいきでころします

ばくげきして へいしだけしかころさない というようなことはありません

 

むごんかん という せんぼつがくせいのえ だけを てんじしたびじゅつかんにいぜんいったことがあります

 

*せんぼつがくせいとは せんそうにいって しんだがくせいです

 

さくひんをみると たんなる おなみだちょうだいではなく さいのうと そのかのうせいがぴかぴかとひかったえが たくさんあるのです

 

かれらは せんそうにいって かえりませんでした

もっとえがかきたかったのです

かくことをたのしみたかった

じぶんのかのうせいが いきつくところをみたかったでしょう

 

とちゅうでぶっつりと かりとられてしまったかのうせいが ならんでしました。

 

かれらのようにとくべつなさいのうがなくても ひとのねうちはかわりません

かぞくですごすこと ばかばなしをすること くさばなをそだてること つりをすること あらゆるかのうせいはまもられなければなりません

 

かのうせいが つみとられるのは ほろびへのみちです

 

くにや しゃかい かぞくや かいしゃ いろいろなきょうどうたいは ひとのかのうせいをなるべくうばわないような ありかたをめざすべきなのです

 

せんそうでは ししゃがでるだけではありません

 

けがにん いっしょうなおらないきずをおうひともでます

 

せんとうちゅうのきずのほかに ほうちされたじらいであしをふきとばされたり れっかうらんだんでひばくしたり かがくへいきでしょうがいをうけたり むすうのけーすがあります

 

また じゅうぐんしたへいしが ひどいとらうまをかかえる ということも きんねん くろーずあっぷされてきました

それはそうです

ひとをころすこと

じぶんがとつぜんころされるかのうせいがあること

そういうぶれっしゃーがあたりまえで そこにさらに ぶたいないのいじめや いろいろなそうていがいのじたいがおきてくるのです

かいしゃづとめをしているだけでうつになるのに とらうまにならないわけがありません

へいしも もともとは ぼくやあなたとおなじ ふつうのひとです

 

へいしのくんれんは そういうころすか ころされるかのかんきょうのもとで へいぜんとして めいれいをまっとうする ようなそんざいにすることです

 

いわば ひとのこころをころして せんとうようのろぼっとになるのです

これほど ひとのかのうせいをうばうものはありません

 

せんそうになれば せいしんせいかつをむしばまれるのは へいしだけではありません

いっぱんのひとも くにがせんそうするのにはんたいすることはできなくなります

 

このようなぶんしょうをかくだけで ろうやにいれられたり きびしいじんもんをうけるかもしれません

 

くにのすべてをあげて せんそうをするのに あしをひっばるのは ひこくみんだ ということになるのです

 

ぐんじんや けいさつがいばり きにいらないものは たいほ だんあつします

じけいだんといって それにきょうりょくするひとたちも たくさんでてきます

みっこくするひともいますからうかつにせんそうはんたいとはいえません

はなしあうこともきけんなのです

 

きょういくや れきしもそのようにぬりかえられて ますこみもせいふにきょうりょくいっしょくになります

 

げんろんはもちろん ぶんがくや らくごまんざいのようなえんげい げいじゅつも きびしくきせいされます

 

それが いかにひとのかのうせいをうばうかわかりますでしょうか

 

せんそうはもうはじまりかけています

めにみえるかたちは いちばんさいごにきます

 

せんそうはんたい というすろーがんをいうのは どれくらいゆうこうかわかりません

 

それよりも あなたがいきているあらゆるばしょで かのうせいをいきいきとさせてください

かのうせいをへらすほうに かたんしないでください

 

じぶんのかのうせいをひらき たのしんでください

ひとのかのうせいをじゃましないで ひらくようにはたらきかけてください

 

それが せかいのかのうせいとつながっているのです

かのうせいをつかえば かのうせいはふえます

 

かのうせいのいまじねーしょんがなければ とじていきます

 

あらゆるばしょでかのうせいをひらいていく

 

それがわたしたちにできることです

 

 

 

  

 

 

みどりがめ は きらわれもののようだ

どこかのいけで みどりがめ をほかくしている どうがをみた

みどりがめは せいかくには みししっぴあかみみがめ というらしい

ほかくといっても れいとうしてころしてしまうので くじょである

はんしょくしてこまっているようだ

 

がいらいしゅなのに まわりじゅう このかめばかりになってしまった

 

あみをしかけて さかなのあたまをいれて すうひきのかめをとっていた

あれなら かめよせのほうがいい

 

どこかで かめのくじょに ほじょきんをだしていたら 『はめるんのふえふき』のように かめをとりにいこうか

 

たくさんのかめをすーぷにして みんなにふるまおうか

 

 

 

なぜ ひらがな? / ひらがなは あたまと こころをかっせいかする!

じんるいきゅうさいのせっけいずは まだまだつづきます

 

せっけいず

 

とてもきちょうな せっけいず です

だって ほかのところにはないでしょう?

 

でも ここでちょっとほかのわだいをはさみます

 

というのは ひらがなは とてもよみにくい 

なんで ひらがななのかな とおもっているひともいると おもうのです

 

そのはなしを まだこのぶろぐのさいしょのほうで しておきます

 

どうして ひらがなは よみにくいのでしょう?

 

「せんにん」とかいたら じつにたくさんのいみがあるのです

 

 

かんじをあてると 5つくらいの かのうせいがあります

 

そのなかから どくしゃは このいみだと とくていしないといけません

そこであたまをつかいます

ぱずるみたいです

 

かんじのほうがあたまがよさそうです

でも ひらがなだけのぶんは わざと あたまをつかわせるのです

 

こんなふうにじとじがくっついてわかちがきをしないともっとあたまをつかうとおもいます

 

でも それではあんまりなので じとじのあいだを いみのきれめで すこしおおめにいれるようにしています

 

どくしゃのかたから 「よくかんでたべよう みたいなきもちです」 とめーるがきました

 

それはせいかいです

 

かんじはべんりすぎるのです

 

ひとめみると だいたいかいてあることがわかってしまう

あるいはわかったきもちになってしまう

 

だいたいのひとは かいてあることをひとめではあくして これはじぶんにかんけいある ない すきだ きらいだ さんせいだ はんたいだ ということをはんだんしてしまうのです

 

いわば しょうりゃくもーどでよんでいるのです

 

このきじをよんでください

おもしろいきじです

えーあいは るいすいとかくりつで ぶんしょうにはんのうするのです

ぶんしょうそのものは よめていない

 

それとおなじように ぶんしょうがよめていないこどもがふえているとかいてあります

 

news.yahoo.co.jp

 

こどもがよめていないのなら おとなになっても よめていないひとがいてもおかしくありません

 

たしかに そのちょうこうを せんにんは かんじているのです

 

ものごとを こてさきでする といいますね

これは こしや おなかから ちからがでていない

ぜんしんのたいじゅうがのっていないことをいいます

 

わたしたちは こてさきで かき よんではいないでしょうか

わたしたちは こてさきで はなし きいてはいないでしょうか

わたしたちは こてさきで せかいをとらえては いないでしょうか

 

わたしたちは こてさきで かんじることになれてしまったことで かのうせいをうしなってはいないでしょうか

 

こどもの もじをおぼえたてのころのように よむ

そこから いみがつたわって しらないことをしるよろこびがあふれる

 

あたまとこころに もういちど かくこと よむことのかのうせいをおもいださせたい

それは 「いつものかいろ」とは ちがうところにひびくのです

 

よむだけで あたらしいかのうせいが かいはつされているのです